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2013-09-08

音樂評論家 湯川女士口中的邁克爾

中文來源:mjjcn.com 翻譯:香茶7

西寺郷太和湯川れい子

每日JP的音樂評論家湯川女士對於邁克爾傑克遜這麼評論著。
湯川女士,在1973年的東京音樂節上,採訪了來日本的14歲的邁克爾。
她是一位真正遇見過14歲邁克爾的人。
首先,問起湯川女士採訪14歲邁克爾的情景,她這麼敘說著。

他是一個非常聰明並且非常有禮貌的孩子,因為正處於變身期而煩惱著。他說他非常尊敬James Brown這些黑人的前輩音樂家們。邁克爾變聲時期,周圍的人紛紛對他說你的可愛又高昂的聲音沒有了
但是,邁克爾克服了變聲期,創造了自己獨特的唱歌的方式。

James Brown
是邁克爾最尊敬的人之一。
邁克爾的舞步受到James Brown的印象,然後進化。
貓王是和邁克爾有很深的因緣的人。是唱黑人音樂的白人
然後,湯川女士就邁克爾做了一首和貓王的代表曲之一“HeartBreak Hotel”同名的歌曲,向邁克爾進行採訪時,邁克爾用銳利的眼神看著湯川回答道。

對我來說,貓王的歌曲並非神聖。貓王因為偷走了我們的音樂才出名的。對於邁克爾的回答,湯川女士又反問道,難道不是因為有貓王的存在,黑人音樂才在白人社會推廣的嗎。然後邁克爾這麼回答。

但是這個代價實在太大了。證據就是,到現在為止,還沒有黑人的超人和彼特潘,對嗎?……真是好厲害的應變能力。
然後,邁克爾超越了黑人……不,應該說是超越了種族,成為了超人和彼特潘。
湯川女士,之後又和邁克爾一共見過10次左右的面。
不過,最後的單獨採訪,是在1981年。
在那之後,邁克爾拒絕了所有的媒體採訪。
最後,湯川女士這麼評論道。

音樂是像河水一樣的東西,各種時代和才能創造了流向。邁克爾所種下的種子會變成什麼樣,現在還無法看見。但是,因為融合了音樂和舞蹈創造出來的thriller的問世,才有了今後的hip-pop,所以,日本才會出現EXCILE,安室奈美惠和傑尼斯家。邁克爾是把音樂的各種可能性大大的擴散的人。

有些人會說邁克爾拋棄了黑人,但我不這麼想。我從來沒見過這麼執著于黑人音樂的人。邁克爾的音樂能讓白人尖叫流淚,能讓黑人敢於做明星的夢想。正是因為有了這個時代,現在奧巴馬大總統當選的時代才會來臨。討厭黑人明星出演的MTV,也是因為有邁克爾打破界限的存在,才使後來的黑人音樂家也能夠出演MTV,才有了現在可以理所當然的聽著黑人的音樂錄影帶。
所以,才有了第一位黑人總統的誕生。這一點都不難理解。



來源:http://www.michael-jackson-legend.org/2009/07/post_4.php


音楽評論家・湯川れい子さん語るマイケル


毎日jpに音楽評論家の湯川れい子さんがマイケル・ジャクソンについて語っています。
湯川れい子さんは、1973年に東京音楽祭で来日した14歳のマイケルにインタビューしたそうです。
14歳の生のマイケルに実際にあった人物です。
そんな湯川れい子さんが語るマイケル・ジャクソンとは、どんな人物なのでしょうか?
まず、湯川れい子さんは14歳のマイケルにインタビューした当時を振り返り、次のように語ります。
「利発で礼儀正しい子で、変声期に苦しんでいた。ジェームス・ブラウンら黒人の大先輩たちを尊敬していると話していた」
マイケルは声変わりした時に、周りの人から「かわいい高い声がでなくなった」と色々言われたそうですからね。
でも、マイケルはそんな変声期を乗り越え、自分なりの歌い方のスタイルを築き上げました。
ジェームス・ブラウンはマイケルが最も尊敬する人物の一人です。
マイケルのダンスのステップは、ジェームス・ブラウンのステップに影響を多く受けていますが、確実にそれを進化させています。

マイケルと深い因縁がある人物としてエルビス・プレスリーがいます。「黒人音楽を歌える白人」です。
そして、湯川れい子さんがエルビス・プレスリーの代表曲の1つ「ハートブレイク・ホテル」と同名の曲をマイケルが作っていることについて、マイケル自身にインタビューすると、マイケルは鋭い眼光で次のように応えたそうです。
「ぼくにとって、エルビスの曲は神聖でも何でもありません。エルビスは私たちの音楽を盗んで有名になった」
このマイケルの応えに対し、「エルビスという存在があったからこそ、黒人音楽が白人層にも広がったはず。」と切り返した湯川さんに対し、マイケルは次のように反論した。
「むしろ代償の方がずっと大きい。その証拠に、いまだに黒人のスーパーマンもピーターパンもいないでしょう?」
う〜ん、すごいやり取りですね。

そして、マイケルは黒人の、いや人種を越えたスーパーマン、ピーターパンになったわけですね。
湯川れい子さんは、その後10回ほどマイケルと顔を合わす機会があったそうです。
でも、単独インタビューができたのは1981年が最後になったとのこと。
それ以降は、マイケルはあらゆるメディアの取材を断っていました。
最後に湯川れい子さんは次のように語ります。
「音楽は川のようなもので、それぞれの時代と才能が流れを作る。マイケルがまいた種は今はどれかなんて見えない。でも、音楽と踊りを同等にしてスリラーで完成させたからこそ、その後のヒップホップがある。その流れで、日本のエグザイル、安室奈美恵、ジャニーズがある」
マイケルは音楽のあらゆる可能性を大きく広げた人物です。
「マイケルは黒人を捨てたと言う人もいるが、私はそうは思わない。あれほど黒人の音楽にこだわった人はいない。マイケルの音楽に白人は絶叫して涙を流し、黒人は自らもスターを夢見た。その時代があったからこそ、オバマ大統領を選ぶ時代が来た」

アメリカで黒人大統領が選ばれた背景にもマイケルの活躍があったからという視点は、すごく鋭い視点だと思います。
黒人アーティストの出演を嫌がっていたMTVでも、マイケルが切り開いたからこそ、その後は黒人ミュージシャンでもMTVに出ることができ、今となっては当たり前のように黒人のミュージックビデオが流れます。
その同じ流れとして、初の黒人大統領というものがあったも、おかしくはないですね。




湯川れい子と西寺郷太が語るマイケルジャクソンのすべて


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