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2013-09-22

MJ & Friends What More Can I Give

MJ Friends  What More Can I Give
來源:mjfcmoonwalk.com
※ 部分的に、当時の会員の方にご協力いただいたレポート内容が含まれています。
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= MJ&Friends 開催まで =(※ VOL.108以前の会誌掲載のNEWS等を再構成)

 '97年


  • 2月、ジミー・カーター元米大統領がマイケルの自宅に訪問。
    (※カーター元大統領は、マイケルの 『Heal the World基金』 最大級の協力者)
    その際、食糧難に苦しむ北朝鮮の子供たちの救済に関する話が持ち上がりました。
    北朝鮮の金正日総書記が自分のファンであると知ったマイケルは、首都ピョンヤンでのコンサート開催を望みました。

  • その後、カーター元大統領が訪朝し北朝鮮側と協議しましたが、ピョンヤンでのコンサート開催は現実的には不可能という結論に。
    マイケルは、板門店(非武装地帯/DMZ)を新たな候補地として選び直しました。
    日程などを詰めるのは、韓国の政権交代後(翌'98年3~4月)の予定。

  • 5月4日、イベント出演のためドイツ滞在中のマイケルは早朝、ミュンヘンの刑務所に収監中のマルセル・エイブラム氏(前月に400万ドルの脱税で逮捕)を面会しに訪れました。
    面会時間は約30分。
    (※エイブラム氏は、過去3度のソロ・ワールドツアーでも関わっているドイツのツアー・プロモート会社 『Mama Concerts』 代表)

  • 11月21日、韓国・ソウルにある 『アジア太平洋地域平和財団』のオフィスで、韓国の次期大統領候補(※当時)の金大中氏と会談。
    この会談は、カーター元大統領の仲介で実現したもの。
    マイケルは金氏に、北朝鮮の子供たちを救済するためのチャリティーコンサートを来年('98年)中に板門店で開催したい旨を伝えました。
    「僕は南アフリカのネルソン・マンデラ大統領に会い、彼の生涯を賭けて自由と平和を守るという勇気を讃えました。そして今、僕はこの国のもう1人のリーダーと一緒にいます。金氏にお会い出来て大変光栄です」
    と、マイケルは金氏の平和保持の意思と分裂した国土にあっての民主制に対する絶え間ない努力を讃えました。

    またマイケルは、新曲 "Stop THE WAR" (※翌年7月ごろ発売予定とされたニューアルバムに北朝鮮の子供たちのため収録し、この曲の収益金もそのチャリティーに回す計画があった) について触れ、北朝鮮と韓国との対立が近い将来に終結を迎えることを望み、
    「僕はこの計画を非常に注意深く考えています。僕はこの国のために何か出来ることがあればと思っています」
    とも語りました。
    金氏の、「私が当選した暁には韓半島の平和のために歌う機会を設けましょう。私が歌詞を書くので曲を作ってみて下さい」との要望に対し、マイケルは 「後日その機会がありましたら」 と返答した、と伝えられました。
    この段階では、コンサート入場料は無し・世界中への生中継の放送権料を寄付金とする計画でした。
 '98年
  • 2月16日、マイケルのオフィシャルニュースサイト(※当時)『Latest Official News』で、韓国でのチャリティーコンサート企画を公式発表。
    『We Are The World 2』 と銘打ったそのコンサートは北朝鮮の子供たちを救済する目的で、開催日と場所は 同年10月10日・韓国のチャムシル・メインスタジアム。
    世界50ケ国の首脳級の指導者たちや 芸術・文化・スポーツ界のスター達が参加、世界120余ケ国でCNNを通じて放送予定としました。
    このコンサートでマイケルはパバロッティと共に "What More Can I Give" を歌うことが予定され、また大統領選挙に勝利した金氏が作詞した曲をマイケルがそこで初披露する可能性が高いと報じられました。

  • 2月17日、金大中氏によると、マイケルは 『We Are The World 2』 を遂行するためにあらゆる著名人や各国首脳らとコンタクトを取っているとの事。

  • 2月22~26日、マイケルは金大中氏の大統領就任式(25日)への出席と進行中である韓国のテーマパーク建設計画のビジネス推進のため来韓。
    チャリティーコンサートに関する話し合いも持たれたと思われるものの、公表されませんでした。

  • 3月16日、『Mama Concerts』 のマルセル・エイブラム氏と "新しい仕事" について会談。

  • 5月15日、LAのビバリーヒルトンホテルで記者会見。
    約65人の記者たちを前に、韓国で予定されているイベントとそれを包括する基金設立について語った会見は15~20分ほど続きました。
    マイケルは、世界中で困窮している子供たちや人々の救済目的で国際的なチャリティー活動の足場とした 『世界平和子供基金』(WPFC)の設立を発表。
    その最初のイベントは、『韓国子供平和基金』(KPFC)の資金を集めるため10月11日に韓国のソウルで開催するチャリティーコンサートであるという事・WPFCは2,3年おきに同様のコンサートを必要な場所で行ない、世界中どこの国をも救済するつもりであるとしました。

    会見でのマイケルの発表
    10月11日、WPFCに係る初のコンサートを開催する運びとなり、とても嬉しく思います。
    1985年、僕は USA for Africa 『We Are The World』 に参加しました。それは数百万ドルを、アフリカ・アメリカの飢えに苦しむ人達にもたらしました。その経験に基づいて地球上で苦しむ人々を救う資金集めの世界的規模のコンサートを行なう事が僕の夢でした。
    本日、多くの友人の助けを得て、僕たちはその夢に向かって一歩を踏み出したのです。
    僕は、よき友 ルチアーノ・パバロッティと エリザベス・テイラーと共に、愛する韓国・チャムシルスタジアムでの最初のコンサートを行なう事が決まり、大変嬉しく思います。また僕たちは韓国南北を隔てる非武装地帯(DMZ)でのスペシャル・パフォーマンスも計画中です。エリザベス・テイラーはこの事が始まって以来ずっと支援してくれています。そして僕は、彼女がこの重要なイベントに参加してくれる事をとても有難く思います。
    WPFCは、僕にとって永年望んできた事です。この重要なイベントをサポートしてくれる 『Cheil Communications』 (※韓国のエージェント),KPFCの素晴らしい人々に感謝しています。
    数年後も世界中のミュージシャン達が集まってこのようなイベントを行ない、WPFCへの基金が盛り上がる事を望みます。そうあれば世界中で起きている食糧危機を無くしていく事が出来ると思います。
    有難うございました。
  • 8月、「イベントは延期か中止の模様」とされ、9月初旬には 「延期」 と伝えられました。
    その理由や延期の予定日は示されませんでした。
  •  '99年
    • 3月20日、マイケルはドイツZDFのテレビ番組 『Wetten Dass..?』(現地時間20:15~)に出演し、 "Michael Jackson & Friends" と銘打ったチャリティー・コンサートを 韓国・ソウルでは6/25に,ドイツ・ミュンヘンでは2日後の6/27に開催すると発表。
      「僕は、何かをしなければならないんだって解ったんだ。今も次世紀も、なんにもしないでいるなんて状態では、自分自身ちっとも心が休まらないよ。そして曲と歌詞、"What More Can I Give" のアイデアが浮かんだんだ。それで、僕は何かをしなければならないって悟った。
      ちょうどその頃、マンデラ大統領が公演のために僕を招待してくれた時に彼と話をしていてインスピレーションを受けたんだ。」
      等と語りました。
      この2つの場所を選んだ理由は、ドイツは10年前に統一したこと・韓国は南北朝鮮に "統一" というメッセージを送りたいことである、とソニーUK社長のジョナサン・モリッシュ氏が代弁しました。
      30ケ国の著名アーティストが2つのコンサートでマイケルと共演することになります。

    • ミュンヘンのチケットはすぐに発売され即完売、3月末までに20,000枚を追加発売。その後さらに追加され、計80,000枚に。
      ソウルのチケットは 5月27日、4ランクの価格設定で計63,000枚を発売。
      途中、「ソウルは売れ行きが芳しくない」と報道されるもプロモーターは即座に否定、どちらも開催までに完売しました。

    • 3月23日、マイケルとネルソン・マンデラ大統領は、南アフリカ・ケープタウンにあるマンデラ大統領の邸宅にて記者会見。
      マイケルは、2つのコンサートの収益金を
        ・ 『ネルソン・マンデラ子供基金』
        ・ 『International Federation of Red Cross and Red Crescent Societies』 (国際連合赤十字)
        ・ 『United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization』 (UNESCO)
      に寄付すると語りました。(以下 『3基金』 と略称)
      (ミュンヘンでは各チケット代のうち 25ドイツマルクが直接3基金へ送られ、運営費の残金も追って送られることがその後公表されました)

      マイケルは、マンデラ大統領の隣で以下のように語りました。


      「この計画を発表する事は、僕にとって素晴らしい名誉です。マンデラ氏の人並み外れた勇気と威厳は、残り少ない20世紀を明るくすることでしょう。」
      「マンデラ氏は、この世紀末の前に何かをしたいというインスピレーションを与えてくれました。僕は彼のことがとても好きです。」
      一方のマンデラ大統領は、
      「路上で生活する子供たちや 無力にさせられた子供たち・虐待され続けた子供たちを助けるため設立した私の子供基金への寄付を、とても嬉しく思っている。」
      「教育は、子供にとって最も強力な武器なのです。」
      と語りました。

    • 3月23日時点でのソウルでのコンサート・タイトルは、"Michael Jackson & Friends - the Adventure of Humanity"。
      韓国のエージェント 『Cheil Communications』 のスポークスマンである Han Jae-Bang氏は、
      「マイケルは、2つのコンサートによって様々な戦争で子供たちが犠牲者となった事を呼びかけたいのです。」
      と語りました

    • 5月16日、コンサートプロモーターである 『Mama Concerts』 の マルセル・エイブラム氏は、ミュンヘンでのコンサートを "Michael Jackson & Friends - What More Can I Give"(14:00~ ミュンヘン・オリンピックスタジアム) と "Michael Jackson & Friends - The Classic Concert"(19:30~ ミュンヘン・Konigsplatz(King's Place)) という2ケ所での構成にすると公表しましたが、その5日後の5月21日に 「2ケ所での開催は技術面からいって難しい」 とし、"What More Can I Give" との一本化(つまり当初どおり)を発表。(何やってんだか?;

    • 5月18日、ソウル公演のためのVTR声明。
      今回のチャリティーコンサートでマイケルは、コソボやその他地域の子供たちを救援するとのこと。
      「僕はもう永い間、苦しんでいる子供たちを助けたいと思ってきました。このような純粋な子供たちは、僕ら大人の貪欲さや政治の相違の中で苦痛を強いられ虐げられています。彼らを救うことは慈善事業ではなく、僕たち大人の義務なのです。」
      とマイケルは語りました。
      マルセル・エイブラム氏は、
      「女優のエリザベス・テイラー、ギタリストのスラッシュが特別ゲストとして参加する。」
      と語りました。

    • 6月上旬、マイケルはニューヨークで既にリハーサルを開始。
      マイケルのパフォーマンスは、マイケル自身と ケニー・オルテガ氏によって構成が決められました。
      マイケルは 韓国と北朝鮮とを繋ぐ橋から、スペシャル・ナンバー "The Bridge Of No Return" を考えています。
      プロダクション・マネージャーは、クリス・ラム氏と ベニー・コリンズ氏。
      クリス・ラム氏は、過去ローリング・ストーンズやクイーンのプロジェクトに取り組んだことで伝説化すらされている人物で、今回テクニカル・マネージャーとして招かれました。

    • ステージ設営関連 :
      開催の数週間前、トラック換算で100台分(約60トン)のステージ機器が重量船積でイギリスとアメリカから韓国へ運搬され、500人の技術者と助手が6月中旬、巨大なステージを造り上げました。


      ライティングシステムは25万ワットを消費、延べ50kmのケーブルを使用。そのステージは何と60m長。ライティングと音響パワーを最大限に出すために、それ自身の電気伝導ジェネレータを用います。
      コンサートをスムーズに進行するため、1,000人を超える作業人員が動員されます。
      5トンの食糧と 5,000リットルの飲料が、ミュージシャン・技術者・スタッフ達のために毎日用意されます。
      いくつかチャーターしたジャンボジェット機は、アーティストや技術者を ソウルからミュンヘンへと運び、100台を超えるリムジンとミニバンが、アーティストの移動に使用されます。

    • オンラインテクノロジー・プロバイダの 『MCY.com』(MCY Music World, Inc.)は、ドイツ・ミュンヘンでのMJ&Friendsコンサートのオンライン独占権を得ました。(※音声のみ)
      MCT.com は、3基金のスポンサーでもあり、『Mama Conserts』 と共同でコンサートを執り行ないます。
      「私たちは、Mama Consertsや マイケル,参加するアーティスト達,3基金と共に仕事ができ、とても嬉しいです。」
      と、MCY会長 ベルンハルト・フリッチュ氏は語りました。
      「音楽とテクノロジーを通して人々を集め、不運な子供たちに何らかの救済が出来るのは名誉なことです。」
      Mama Conserts社長で MJ&Friendsコンサートのプロデューサーでもある マルセル・エイブラム氏は、次のように語りました。
      「私たちは、インターネットでこのスペシャルイベントを放送してくれる MCY.comと仕事が出来ること・そしてオンラインの技術を通して我々の救済活動を支援してもらえることがとても嬉しいです。」
      「私たちの元に、まさに世界中から聴衆が集まって来てくれる。世界中のファン達が、ひとつの時間の ひとつのイベントに参加することが出来るのです。」
      結果的に 1,000万アクセスを記録し、オンライン放送での世界記録となりました。(※当時)

    • 6月9日、ミュンヘン・オリンピックスタジアムにて会見。
      これはミュンヘンでのMJ&Friendsコンサート(6月27日)のプロモーションで、ファンも入場を許可されました。
      マイケルは正午にやって来て、300人以上のファンと200人の報道陣に迎えられました。
      マイケルは赤十字に50,000マルクの小切手を手渡しました。
      マイケルがその場にいたのは約10分間で、「I Love You」以外は殆んどしゃべりませんでした。
      会見でのマイケルからの公式声明
      皆さん、お越し戴きありがとうございます。
      僕が今日 ここミュンヘンに訪れたのは、6月27日に当地で開催されるショウの全ての最終調整を図るためです。
      僕は、このコンサートを支えてくれる素晴らしいアーティスト達に対する支援を皆さんに強くお願いしたい。それが、より多くの基金を集めることに繋がるのです。
      こんにち世界中には、数多くの苦難があります。ここからさほど遠くない場所にいる 耐え難い苦痛を味わっている恵まれない人々を助けることは、僕たち皆の義務です。どうか彼らのことを忘れないで、そして彼らを支えて下さい。
      ありがとう。あなた方すべてを愛しています。
      そして6月27日、皆さんに会えることを楽しみにしています。I love you.
        ― Michael Jackson


    • Boyz II Men の ネイザン・モリスによるコメント。
      「Boyz II Men は、この世界的なプロジェクトでマイケルをサポート出来て嬉しく思います。
      家族を失い食べ物を失って恐怖の中に身を置いている子供たちを始めとした戦争の犠牲者たちを想うマイケルに、私たちも共感します。私たちは、マイケルのそうした感受性と努力に対し、惜しみない拍手を送ります。」





7月1日 ビルボードは、寄付額がコンサート売上分からのみで 330万ドルにのぼった事を発表。
これは、マイケルの個人寄付等を除いた額です。
世界中の貧しい子供たちとコソボ難民を手助けすべく、3基金で運用されます。
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= ソウル(韓国) =

■6月21日■ ソウル到着  
 マイケルはアメリカLA発の大韓航空(KE18便)で午後5時10分に金浦空港に到着し、大勢のファン達から歓迎を受けました。
 マイケルはソウル・ザムシル・オリンピック・スタジアムで25日の午後7時に予定されている、今世紀最後のビッグ・イベント「Michael Jackson & Friends」のコンサートに出演します。




 入国手続きが終わった後、マイケルは5時20分に息子のプリンス君(2歳4ヶ月)と娘のパリスちゃん(1歳2ヶ月)を連れ、国際線第2庁舎の1階2番出口を出ました。
 マイケルの来韓姿を一目見ようと集まったファン達は、「マイケル!」と叫び続けていました。そして空港周辺は400人の警官と40人のガードマンが、マイケル一行を集中警護。100名ほどの国内外の報道陣も熱気を持って取材していました。



 前回('98年2月の金大中大統領就任式への出席時)と同じく、今回もマイケルは新羅(The Shilla)ホテルに滞在。
 ホテル入口側には HIStory Tour告知用の大看板が! タテ3m位はありました。
 ホテルのロビーには大型モニターを設置し、常にSFが流されていました。 そしてマイケルがロビーを通る時には、必ずと言って良いほど "Blood On The Dance Floor" のSFを流すのです。(実に判りやすい!)


 今回、移動にために利用していたのは大型バスでした。





■6月22日■ タワーレコード&エヴァーランド  
 マイケルは午後、ソウルの南山に位置する「Children's House」の恵まれない子供たち20人を、滞在中のホテルに招待しました。
 一緒に食事をしてからタワーレコードへ行き、その店のスタッフも連れて大型バスに乗り、首都圏ヨンイン市にあるエヴァーランド遊園地に向かい2時間ほど楽しみました。

 今回、マイケルのヘッド・セキュリティーであるウェインは足(股関節)を痛め 松葉杖をついていたこともあり、他のセキュリティーが主にマイケルと同行していました。

 タワーレコード
 マイケルは、20万ウォンを超すほど沢山のCDを購入して子供たちにプレゼントし、タワーレコード社側も文具セットを子供たちに贈りました。




 マイケルのコンサートを観るために韓国を訪れた外国からのファン達も注目を浴びました。オーストラリア・フランスから来たファン達は、マイケルの訪問先にまで現れたのです。
 CDを購入し 1階のロビーに降りてくるマイケルを見かけた2人の白人青年は、マイケルの前で "Billie Jean" に合わせてダンスを披露し、そのパフォーマンスが終わるとマイケルは彼らと抱き合い、記念写真を撮りました。
 マイケルはチャップリンや、アレサ・フランクリン等のCDを買ったそうです。

 エヴァーランド
 マイケルが「Children's House」の恵まれない子供たちと共にヨンイン市のエヴァーランドに到着したのは、午後3時。
エヴァーランド社長のホ・テクハ氏に案内されたマイケルは、園内のヴィクトリア劇場で、彼が自ら書いたメッセージの入った銅版の除幕式を行ないました。
 エヴァーランド側は、マイケルの来館する時間に合わせて 近くにある「ヨンハの家」の恵まれない子供たちを招待していました。マイケルは同行した「Children's House」の子供たちや 「ヨンハの家」の子供たちと一緒にエヴァーランド内を見物し、また、エヴァーランド側がマイケルのために準備した「夢と希望のコンサート」を、子供たちと観賞し楽しんでいました。
 そしてマイケルはサングラスをし日傘を持って歩きました。 "The Horror House"等のアトラクションを楽しみ、小さなゴルフカートで休息。


 その場を去る前、体の不自由な子供たちに囲まれて特別なショウに参加しました。ドラム・パフォーマンスやエヴァーランドのキャラクターと40人の子供たちが歌う "Heal The World" とエヴァーランドのテーマソングを鑑賞したのです。2人の小さな女の子からステージに上がるよう頼まれましたが、それは断りました。

近くの女の子に教えるように一緒におゆうぎをし、キスも贈るマイケル

 マイケルのソウル滞在中、コンサートチケットを持っている人は無料で入園できることになっていたエヴァーランドでは、熱烈なファンや観覧客に囲まれ、マイケルの行く所は常に大勢の人たちで込み合っていました。
 マイケルは午後4時半にパークを出て、その後 孤児院の代表者と会いました。

 南山の「Children's House」の子供たちと一緒に宿泊先である新羅ホテルに戻ったマイケルは、子供たちが準備した舞踏などを観ながら楽しい時間を過ごしました。





■6月23日■ 現代デパート&Bennygan'sレストラン  
 現代デパート
 マイケルは訪韓3日目のこの日 午前11時に、宿泊していた新羅ホテルにおいて全羅北道の道知事ユ・ゾンクン氏と歓談した後、午後3時50分に江南区の現代(ヒュンダイ)デパートに立ち寄りショッピングをしました。
 現代デパートでは、店長のカン・デイン氏と歓談した後に、子供用品コーナーで英語の童話ビデオを購入。また地下1階の電気製品売り場では、パナソニックの携帯用CDプレーヤー・Samsungのキャムコーダ・電話機など、電気製品を中心に約140万ウォン分を購入しました。
 「息子と娘が電気製品に関心が高いので、子供のために買った」 とマイケル本人が言ったらしいけど… (え" ホントかなぁ ?!)




 デパートにはファンが大勢駆けつけ大パニック! マイケルがデパートの2階でトイレに立ち寄ると、彼を待つ警備団と取材スタッフに加え 大勢のファンが集まってきて、一時トイレの前は 上げた足の置き場も無いほどに混み合ってしまいました。
 マイケルは子供服売り場にも立ち寄る予定があったようですが、余りにもパニック状態だったため、これは断念。何しろヤジ馬含め ものすごい人だかりで、警備の警官だって半端な数じゃなかったのです。

 Bennygan'sレストラン
ショッピングを終えて午後4時にデパートから出て、すぐに同じ江南区に位置する Bennygan'sレストランへ入りました。
 そこでは、マイケルが招待した障害や病気を抱えた子供たちが待っていました。
 マイケルは大きなテーブルに着いて、子供たちが食事をしたりマイケルからもらったプレゼントを開けている間、フルーツ・ジュースを飲んでいました。(店内では "Heal the World" が掛けられていて、数人のファンも中に入ることができました)
 子供たちへ予め用意していたプレゼントは、お菓子の詰め合わせやCD・エアコン・テレビ・ビデオ等でした。
 マイケルは小児癌や白血病に病んでいる15人の子供たちと食事をし、「治療を受けてはいるけれど治るのでしょうか?」と言う彼らを心配し、「早く治ることを祈ります」とスピーチし子供たちと抱き合い闘病に負けないよう励ましたのでした。

子供たちへのサインや写真撮影に応じるマイケル

 そして午後5時45分にそのレストランを出てホテルへ帰りました。





■6月24日■ アメリカ軍用基地公式訪問&ロッテ・ワールド&リハーサル,他  
 アメリカ軍用基地公式訪問
 午後2時~3時の間にホテルを出て、ソウルのヨンサン米8軍領内で開かれた米軍慰問公演に約30分参加し、領内で兵士たちにサインをしたり記念撮影にも応じました。




 ロッテ・ワールド
 そして、予定になかったロッテ・ワールド・アドベンチャーにも訪れ、いくつかのアトラクションに乗って楽しみました。
 ショッピングでは、泡の出る水鉄砲を購入。

 リハーサル
夜7時にホテルへ戻り15分休憩した後、リハーサルのためオリンピックスタジアムに向かいました。
 10分間ウォーム・アップした後、以前にもパフォーマンスしたことのあるヒット・メドレーを歌い、次に、"She's Out Of My Life" をバック・シンガーの女性と歌いました。(マライア・キャリーはまだソウルに到着していなかったため)
 マイケルの喉の調子は万全でした。(数人のファンはフィールドに入り、リハーサルを見ることができました)
 次に、HBOコンサートのためにラベル・スミスとトラヴィス・ペインが用意した "Dangerous" のスペシャル・ヴァージョン。
 次は Bridge of no return の "Earth Song"、最後に "You Are Not Alone"。前列は椅子でいっぱいで、立っている観客がその後ろにいる形になるため、そこから女の子を連れ出すのはムリということで、女の子をステージに上げる演出は止めにしました。



 午後11時15分、リハーサルが終了しホテルへ戻りました。
 (リハーサルへはプリンス君も同行。ホテルに戻ってきたプリンス君は、パパより先にホテルの入口通過です。抱っこしていたのはパパじゃなかったけど、とにかく大人し~い子でした)

 カクテル・パーティ
 この日宿泊している新羅ホテルで、出演者とスタッフのみを招いたカクテル・パーティーがありました。
 マイケルがリハーサルから戻る前、既にスティーブン・セガールやボーイズIIメンがホテルに到着し、ホテルロビーにいたファンはその度に 「マイケルが戻ってきたの?!」 「う~ん、誰?!」 って感じでしたが、思わぬスター達の登場でビックリ!
 ホテルに戻ってきたマイケルは一度部屋へ戻り、その後パーティー出席のため降りてきました。2階のバルコニー通路を歩くマイケルに、1階ロビーで待つファンがその歩く姿を一目見ようと集まっていました。
 マイケルはそのパーティーに15分ほど顔を出し、再び同じ通路を通りエレベーターに向かいます。
 1階ロビーのファンに手を振っていた時、その通路(2階)のエレベーター近くにいたヨーロッパのファン数人がマイケルの近くに行くことができ、プレゼントを渡し会話することができました。マイケルがエレベーターの中へ去った後、彼らは大はしゃぎで喜んでいました。

 この日、エリザベス・テイラーが同ホテルに到着する予定だったのですがキャンセルが入り、コンサートへも来られないということが判りました。

 明日はいよいよコンサート当日!
 この数日間 ファン達はマイケルの "お出かけ追っかけ" でヘロヘロになっているはずなのに、前日のこの日も夜遅くまで結構多くの人たちがホテルに残っていました。





■6月25日■ コンサート  
 「世界の恵まれない子供達への援助と平和祈願」のために行なったチャリティー・コンサート "Michael Jackson & Friends" は、朝鮮戦争勃発49周年を迎えた6月25日の午後6時30分から 約5時間に及ぶその華麗な幕を開けました。(約45,000人収容)




 各アーティストやミュージシャン参加で、ショーは次々と進行していきました。
 盛り上がりのメインとなったのは、やはりボーイズIIメンやマライア・キャリー登場あたりです。
 各アーティストがパフォーマンスする前に司会者の女性が紹介するといった進行形式でした。

 午後10時半頃となり、いよいよマイケルの出番です。
 と! 会場の一部が ざわめき始め、「マイコー!マイコー!」の歓声が!!
 ステージ右脇にマイケルのカメラ・クルーのジープが入ってきて、マイケル到着が判ったのです。ホテルからマイケルを追っかけていたファン達も慌てて会場入りしたらしく、ドヤドヤと入ってきました。
 会場はマイケル登場を待ちきれないかのようにウェーブが起こります!

 そして待ちに待ったマイケルの登場!!  場内はウォーッという歓声。
 ステージ奥からライトに輝き照らされその逆光の中、静かに歩いてくるマイケル。しかも "Don't Stop 'Til You Get Enough" のイントロで!


 ステージの真ん中にじっと立ち尽くし、観客の叫びを聞いています。

ジャケットをパッと脱ぎ捨て… 歌い始めたのは "The Way You Make Me Feel" 、この曲からメドレーで "Black or White" になり、スラッシュのギター・ソロが続き…
 いつもの事ではありますが スタッフが止めに入ったりなんかしちゃって、でもってこれまたお決まりなんですけど、マイケルが 「おいおい困ったなぁ~!」 なんてポーズ作ったりなんかして会場をのせたりなんかするんですよね。
 で、スラッシュがおじさんに怒られている間に、マイケルはステージ中央奥でしっかり Billie Jeanジャケットを着せてもらってるわけです。

 イントロが始まり、ここぞ見せ場とばかりに "Billie Jean" ショート・ヴァージョンが始まります。
 そして、"Smooth Criminal" のように白い大きな布が下りてきて、マイケルのシルエットを浮かび上がらせた後、その布がするりと下に落ち!
 …かっこよく決まるはずだったのにぃ~…; 落ちた先はマイケルの頭;;; すっぽり布をかぶっちゃったマイケル。
 しかーし そこはプロ!
 「おりゃぁー!」 と自分で布を払いのけました!(ホッ;)

 "Billie Jean" の後、ステージの上でお着替えです。(「I love you」など言いながらニコニコ顔のマイケル)
 スペシャル・ステージともなれば、シャツの色だって違います。光沢のある真っ赤なシャツで "Dangerous" スペシャル・ヴァージョンを歌いました。


 "Dangerous" を歌い終えたマイケルは、一度ステージ右へと去っていきます。

 ステージ中央スクリーンにブルーの空に雲という画面が映し出されていて、「歓喜の歌」(ベートーベン交響曲第9番第4楽章)の合唱が流されていました。
 その曲の音が小さくなり、"Earth Song" のイントロへと繋がります。
 ステージ右より歩いてきたマイケルは静かに歌い始めました。
 熱唱するマイケルがシャツを両手で引き裂き… 力が入ったせいか(?!)、胸が全開になってしまいました。
いや~ん なんてワイルド!

 曲のクライマックス場面では、ステージ正面下に設置されていたブリッジ(鉄橋)が現れます。3つのパーツに分かれていて両端が同時に斜めに上がり、中央部分は上から降りてきて3つが合体するのです。
 橋ができ、そこを左から戦火に苦しむ人々に扮したダンサー達が歩いて渡りきり、その後マイケルが右から、橋に瞬く火花と共に歩き上がって行きます。マイケルの背後には銃を持った兵士が…。

 橋が3つに分断され、中央部分(マイケルが乗っている)がワイヤーで上昇していき、吊り上げられた状態でマイケルが熱唱。



 徐々に下へと降り橋は復活し、マイケルはステージへと降りてきます。

 SBSのキャラクターである1人の少女が軍人に一輪の花を渡すシーンが演じられました。
 このとき会場にいる人々が抱いたイメージは、まさに平和を訴える一編のドラマのようでした。場内はしばらくマイケル・コールに包まれていました。



 ここでちょっと一休み(?)
 このコンサートを開催するに当たっての主旨や、協力して戴いた各方面の尽力、特にキム・デジュン大統領への感謝などを、また、「韓国統一を祈願している」こと・「今夜のこのショーをそういった事へ捧げます」 という内容のスピーチをしました。
 そして 「再びソウルに戻ってくることを約束します」 と述べました。(結構長々としゃべったマイケル)

その後、今夜このショーでステージを共にした仲間(スタッフ・ダンサー・ミュージシャン等)をステージ上に呼び、一列に並んで手を繋ぎご挨拶!
 マイケルの「ホ-オゥー!」(けっこう低音)という声と共に、繋いだ手を上げお辞儀です。
 ちょっとおデブさんになったスラッシュもご機嫌でした。
 マイケルはステージ奥に歩きながら、何やら歌を口ずさんでいました。
 マイケルがステージから去った後、スクリーンに観客席が映し出され、それに反応して喜ぶ人たち!

 "You Are Not Alone" では、当地ソウルのリトル・エンジェルス合唱団の子供たちが現れ、マイケルと一緒に歌います。
 マイケルのステージは、夜空を飾るいくつもの花火と共に終了しました。

 コンサートを生中継したSBS放送は、ARSを通じ1通話毎に2,000ウォンを恵まれない子供達のための基金として募金を行ないました。
 募金額は28万余りの通話分にもなり、5億6千万ウォンを超える金額となったのです。

 コンサートが終わり、ホテルに戻ったらば…。あれれ? マライアが来ていました。
 マイケルを訪ね、約1時間ほどマイケルの部屋に居たそうです。
 「"She's Out Of My Life"、リハーサルしてたの? デュエットしなくてごめんね;」 とでも言いに来たのかな?!
 そう! リハーサルの時マイケルは、バック・コーラスの女性をマライアに見立てて1曲まるまる歌い、しかもステージで抱き合う場面も練習し、さらに 「マライア・キャリー!」と紹介するところまでやっていたというのに…。
 マライアいわく、「リハーサルをやっていないので、プロとしては当日できない」って言ったらしいです。
 ま! 生マライアはメチャメチャ可愛かったから許してあげましょう(!?)(マライアは当日ソウル入りしたのでした)





■6月26日■ ミュンヘンへの出発  
 新羅ホテル
 移動日のため次々と荷物が運び出され、最後にマイケルの私物が運び出されます。ベビー・チェアーがあるところなんか、"お父さんしてるなぁ~" って感じです。
 ちなみにカーゴの上に乗っている帽子は、本物のマイケル・ハットではありません。
 噂によると、マイケルは帽子を忘れてきたそうで、急きょ用意されたのがこの帽子。結局ブッサイクな形だったせいか、マイケルは一度も帽子をかぶりませんでした。

〔韓国の民族衣装をまといロビーで見送る子供達〕

 翌日ミュンヘンの公演を控えているマイケルは、この日の早朝(午前8時頃)にホテルを出発、ソウルの金浦空港へと向かいました。
 ホテルロビーで見送るファンに手を振り、バスに乗り込みます。

 金浦空港
 空港まで追ってきたファンとも本当にここでお別れ!
 物々しい警備の中ゆっくりとバスから降り、ファンに別れを告げ VIP入口から空港内へと去っていきました。もちろんプリンス君とパリスちゃんもパパと一緒です!!

※ 部分的に、当時の会員の方にご協力いただいたレポート内容が含まれています。
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= ミュンヘン(ドイツ) =

■6月26日■ ミュンヘン到着  
 午後6時15分、マイケルはプリンス君・パリスちゃんと共にミュンヘンに到着。




 1時間後、大勢のファンの待つ Bayrischer Hofホテルに着き、ファン達の前を歩きました。


 雨が降り始めるまで、マイケルはホテルの部屋の窓から何回か顔を出しました。





■6月27日■ コンサート  




 輝く空の下、夏のビッグ・イベントが始まりました。
 この日、ドイツのミュンヘンにあるオリンピックスタジアムで開催されたチャリティーコンサート "What More Can I Give" に、マイケルは国際的に活躍するミュージシャン30組以上を集めました。
 スコーピオンズ,バネッサ・メイ,ボーイズIIメン,サーシャ,ケリー・ファミリー等の大物が出演するショウに、62,000人のファンが興奮したのです。

 コンサートの冒頭、マイケルからのビデオメッセージが流されました。そして9時間に亘るクラッシック・ポップ・マラソンの最後を飾ったのは、"King Of Pop" マイケルその人だったのでした。
 午後11時に子供たちがマイケルの出番を伝え、マイケルが舞台に登場すると喚声は一段と高まります。
 ヒット曲 "Billie Jean" "Dangerous" などの後、彼の35分間にわたるステージは頂点を迎えました。

 平和への讃歌 "Earth Song" は、ソウルでのコンサートと同じく舞台の上 高さ14mに鉄橋が掛けられ、銃声が鳴り響き暗闇に閃光が光るという 戦争をテーマにしたシナリオです。
 その橋をマイケルが上って行き、曲のクライマックスであったその時!
 橋の真ん中がすさまじい勢いでマイケルと共に落下! 写真撮影用の溝にぶつかったのです。ファンは悲鳴を上げました。


しかしマイケルはその場を逃がれステージに駆け上り、何ら苦痛を表さずに歌いきり、続く "You Are Not Alone" まで歌い上げました。
 そのため殆んどの観客は演出の一部だと信じ、アクシデントに気づきませんでした。

 真相は、橋の落下自体は計画されたものでしたが スピードはもっとゆっくりの筈で、しかしこの時にはそのコントロールが出来ずブレーキが利かなかったまま床に落下してしまった、という訳です。
 "You Are Not Alone" の最中も、橋に見立てたそのクレーンはそこにあり、もはや動かせない状態でした。

 あらゆる意味で全てを演じきったマイケルは、最後に観客に向かって 「I love you!」 と 4回も繰り返し叫びました。

 ステージを終えた後、マイケルはすぐにイーザル湖畔の病院に運ばれました。
 マイケルは足首と手首を痛めていて、少々の火傷も負っていましたが、数時間後に病院から出ることが出来ました。
 数百人のファン達は、マイケルの滞在するホテルの前で 怪我の具合に関するニュースの到着を待ち続けていました。





■6月28日■ ホテルでの静養  
 500人のファン達がホテル前に集まり、マイケルの快復を願いました。

マイケルはパジャマ姿で何度もホテルの窓から顔を出し、ファンからカード付の風船を受け取ってそのカードを読んだ後にはピースサインを出していました。

 "アンチマイケル" のRTLテレビがファン達の姿を撮影しに来た時には、大勢のファンが立ち上がって 新しいスローガンを叫び始めました。
 「Michael is the Best! F*** the Press !! 」
 ファン達の声はすぐに大きくなり、マイケルは窓から彼らに同意の合図をしました。ファン達がもっと大きく叫ぶと、マイケルは指を揺らせて合図しました。

 前夜のアクシデントによる負傷について、MJJ Productions は 「マイケルは大丈夫」 と語りました。
 昼下がりには Mama Consertsの Marcel Avram氏が記者会見を開き、「マイケルは元気でいます」 と話しました。





■6月29日■ ドイツ出国  
 この日、フランス・パリへ向けて発ちました。
 パリではニューアルバムその他の仕事やプライベートのため、予定を延ばし7月13日まで滞在。
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= 会員投稿レポート =
  ソウル&ミュンヘン紀行
  by. mjjさん

 6月25日のソウル公演は、チケットを取らずに “とりあえず行くだけ行って あとは何とかなるかなぁ…” みたいな、かなり適当な考えでした。

 マイケルの泊まる新羅ホテルに、25日当日に到着。友人と共にチェックインして、マイケルがホテルを出るまでフラ~っとしてました。ホテル内にある巨大なスクリーンに、夕方にもなると会場の(オリンピックスタジアムの)様子が放送されたりしている。それを観ていて “どーしようかなぁ…” なんて考えてました。


とか何とかしてるうちに午後7時30分すぎ頃マイケルがホテルから会場へ向かう時間になり、マイケルは沢山のボディガードが立ち並ぶ中 ロビーに姿を現わしました。ちょっと顔が痩せたかなぁ~って感じでした。

 マイケルがホテルを出て行ってしまってから、大変にのんきな私は地下鉄で会場へ行きました。
 入口がどこかよく判らなかったので、近くを歩いていた2人の女の子(20歳くらい)に訊くと一緒に連れて行ってくれました。2人は中国人でしたから英語があまりしゃべれなかったのですが、一生懸命話してくれました。
 「会場にはもう入れないから、外からスクリーンを観ていた方がいいよ」 と言われたのですが、やっぱり中に入りたかったのでダフ屋からチケットを買うことにしたのですが、ダフ屋との折り合いがうまく合わず断念せざるを得ない状態になっていました。
 若い子たちはゲートの中に何とか入ろうと試みている人もいましたが、警備員がゲートを閉めてしまって中には入れませんでした。

 その時、その中国人の女の子の1人が、ゲートが開いている所を見つけたのです!
 たまたまドアを押したら開いていて、「早く!早く! 入れ、入れ!」 
― そして、なんと本当に中に入っちゃったのです。 “でも絶対うまくいくはずないよなぁ… すぐ見つかっちゃうよなぁー” と思ってました。
 案の定、警備の人はウロウロしていて、会場の中を覗くと、私たちがいる場所はちょうどステージの真裏(後ろ)でした。でも、すぐ見つかって笛の 『ピーッ!』という音とともに警備の人々がこっちに向かって来ました。“うわーっ、ヤバっ!” と思って階段の端に隠れました。
 しかしいつまでもこうしている訳にも行かず、時間も午後9時30分になるくらいでした。こっそり、またその場所を離れて外に出てみると、また違うセキュリティーの人々に見つかってしまいました。何か言われたのですが(当然、韓国語は解らなかったのですが)、よく解らないうちに会場の中に入れてもらえちゃったのです!(マイケルごめんなさい。私はタダ観をしてしまいました)
 もう信じられなくて、3人でひたすらキャーキャー言いながら会場の中に入りました。
 そして幸運にも、マイケルのステージは 入ってすぐに始まりました。そもそも、何で入れたのかは未だによく解らないんですが、本当にラッキーでした。


 およそ30分ほどのステージは最高でした。特に "Dangerous" のニュー・バージョンや、"Earth Song" の橋のシーンは、本当に驚くべき展開でした。
 そして何より、あの2人の中国人と一緒に歌ったり喜びを分かち合ったことは忘れ難い想い出の1つとなりました。(でもチャリティー・コンサートなのに、タダ観はやっぱマズイですよね。反省します。)

 翌日の朝、午前8時30分にマイケルはソウルを離れ、ミュンヘンに向かいました。
 私も午前10時にはホテルを出て、フランクフルトまで行き、国内線(ルフトハンザ)でミュンヘンに向かいました。
 国内線の待合のところで知り合ったマイケルファンの女の子2人(外国人)が、マイケルの泊まっている Bayerisher Hofホテルに一緒に行かないかと誘ってくれたので、これまた一緒にいたスペインのファンの女の子3人組と、合計6人でホテルに行きました。
 でも、着いた途端に雨が降ってきてしまい、用意の悪い私は傘を持ってきておらず 皆もホテルに戻り始めたので、私も近くのホテルに歩いて帰りました。


マイケルがホテルに到着した時のファン達

 翌日はホテルに寄って、ホテル前にいた外国人のファンの人々と話したり写真を見せてもらったりして、夕方4時には会場のオリンピックスタジアムまで地下鉄で行きました。
ミュンヘンのホテルにいた時は雨が幾度も降ったのに会場はとても天気が良く、ちょっと暑いくらいでした。
 Tシャツとパンフレットとバンダナが売っていたので、それを買ってアリーナのステージ前まで下りて行きました。
 途中で赤い旗みたいなものが配られて、それには 『The Power of Sixt Salutes, The Power of Humanity』 と書かれていました。
 そして、しばらくして RED CROSS(赤十字)の人々が募金箱を持って回って来たので、ソウルでタダ観した私はそのお詫びとして募金しました。

 午後8時頃、ドイツTV "Wetten Dass...?" の司会者が現われて、マイケルを呼びました。
 黒い上下にサングラスをしたマイケルが、オペラ歌手の Andrea Bocelliを紹介する短いスピーチを行ないました。

 その後、午後10時30分を回ったくらいでマイケルのステージは始まったのですが、残念だったのはミュンヘンで予定されていた Luciano Pavarottiとのデュエット等が無かったし、Liz Taylorや Pavarotti自身も来ていなかった事でした。
 でも会場の観客は皆その事実とは関係なくマイケルのステージに熱狂していました。


 日本の新聞にも書かれていた “ステージ上の事故” ですが、私たち観客の中で、マイケルが怪我をした事に気づいている人はいませんでした。というのも、マイケルは怪我をした後も、それを観客に気づかせる事なく "You Are Not Alone" を堂々と歌っていたのですから。そこはさすがにプロでした。
 でも確かに、"Earth Song" の時に 橋が割れてマイケルが乗っている橋の一部が大きな爆発音とともに下に降りる時、私も結構近くで観ていたのですが、かなり早い勢いで上からサーッと… “降りる” というより “落ちる” に近い感じだったので、一瞬ヒヤッとしました。しかもその橋はステージの下まで降りてしまい よく見えなくなってしまい、挙げ句の果てにはマイケルが下からステージに自分で上って、また歌い続けていたのです。



 “大丈夫なんかい?” という感じでしたが、マイケルは至って “正常” に歌っていたので怪我をしているなんて思ってもいませんでした。
 しかし、30分のショーの後のスピーチは無く、マイケルは会場を後にしました。

 私は打ち上がる花火を見ながら、ずっとステージを見つめていました。
 ソウルとミュンヘンと2回のコンサートを観るために、すごく慌ただしい日々を送っていたので、なんか全てが“あっ”という間でした。

 翌日はICEでミュンヘンからフランクフルトに戻り、列車の中で色々な想いを馳せ、今まであった出来事を日記に綴ったりしました。(うわぁー、クサイなぁー。)
 そしてフランクフルトでは帰国の便までの間、レーマー広場などを観光して、夜、フランクフルトから日本に帰国しました。
 ソウル(韓国)は一度行ったことがあったのですが、ドイツは初めてだったので何かと大変なことが多く、たくさん失敗&恥をかいて来ましたが、無事マイケルのコンサートを2回とも観ることが出来たので本当に良い体験となりました。



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