來源:mjfcmoonwalk.com
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= MJ&Friends 開催まで =(※ VOL.108以前の会誌掲載のNEWS等を再構成) | |
'97年
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7月1日 ビルボードは、寄付額がコンサート売上分からのみで 330万ドルにのぼった事を発表。 これは、マイケルの個人寄付等を除いた額です。 世界中の貧しい子供たちとコソボ難民を手助けすべく、3基金で運用されます。 |
= ソウル(韓国) = | |
■6月21日■ ソウル到着 | |
マイケルはアメリカLA発の大韓航空(KE18便)で午後5時10分に金浦空港に到着し、大勢のファン達から歓迎を受けました。 マイケルはソウル・ザムシル・オリンピック・スタジアムで25日の午後7時に予定されている、今世紀最後のビッグ・イベント「Michael Jackson & Friends」のコンサートに出演します。 入国手続きが終わった後、マイケルは5時20分に息子のプリンス君(2歳4ヶ月)と娘のパリスちゃん(1歳2ヶ月)を連れ、国際線第2庁舎の1階2番出口を出ました。 マイケルの来韓姿を一目見ようと集まったファン達は、「マイケル!」と叫び続けていました。そして空港周辺は400人の警官と40人のガードマンが、マイケル一行を集中警護。100名ほどの国内外の報道陣も熱気を持って取材していました。 前回('98年2月の金大中大統領就任式への出席時)と同じく、今回もマイケルは新羅(The Shilla)ホテルに滞在。 ホテル入口側には HIStory Tour告知用の大看板が! タテ3m位はありました。 ホテルのロビーには大型モニターを設置し、常にSFが流されていました。 そしてマイケルがロビーを通る時には、必ずと言って良いほど "Blood On The Dance Floor" のSFを流すのです。(実に判りやすい!) 今回、移動にために利用していたのは大型バスでした。 | |
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■6月22日■ タワーレコード&エヴァーランド | |
マイケルは午後、ソウルの南山に位置する「Children's House」の恵まれない子供たち20人を、滞在中のホテルに招待しました。 一緒に食事をしてからタワーレコードへ行き、その店のスタッフも連れて大型バスに乗り、首都圏ヨンイン市にあるエヴァーランド遊園地に向かい2時間ほど楽しみました。 今回、マイケルのヘッド・セキュリティーであるウェインは足(股関節)を痛め 松葉杖をついていたこともあり、他のセキュリティーが主にマイケルと同行していました。 タワーレコード マイケルは、20万ウォンを超すほど沢山のCDを購入して子供たちにプレゼントし、タワーレコード社側も文具セットを子供たちに贈りました。 マイケルのコンサートを観るために韓国を訪れた外国からのファン達も注目を浴びました。オーストラリア・フランスから来たファン達は、マイケルの訪問先にまで現れたのです。 CDを購入し 1階のロビーに降りてくるマイケルを見かけた2人の白人青年は、マイケルの前で "Billie Jean" に合わせてダンスを披露し、そのパフォーマンスが終わるとマイケルは彼らと抱き合い、記念写真を撮りました。 マイケルはチャップリンや、アレサ・フランクリン等のCDを買ったそうです。 エヴァーランド マイケルが「Children's House」の恵まれない子供たちと共にヨンイン市のエヴァーランドに到着したのは、午後3時。 エヴァーランド側は、マイケルの来館する時間に合わせて 近くにある「ヨンハの家」の恵まれない子供たちを招待していました。マイケルは同行した「Children's House」の子供たちや 「ヨンハの家」の子供たちと一緒にエヴァーランド内を見物し、また、エヴァーランド側がマイケルのために準備した「夢と希望のコンサート」を、子供たちと観賞し楽しんでいました。 そしてマイケルはサングラスをし日傘を持って歩きました。 "The Horror House"等のアトラクションを楽しみ、小さなゴルフカートで休息。 その場を去る前、体の不自由な子供たちに囲まれて特別なショウに参加しました。ドラム・パフォーマンスやエヴァーランドのキャラクターと40人の子供たちが歌う "Heal The World" とエヴァーランドのテーマソングを鑑賞したのです。2人の小さな女の子からステージに上がるよう頼まれましたが、それは断りました。 マイケルのソウル滞在中、コンサートチケットを持っている人は無料で入園できることになっていたエヴァーランドでは、熱烈なファンや観覧客に囲まれ、マイケルの行く所は常に大勢の人たちで込み合っていました。 マイケルは午後4時半にパークを出て、その後 孤児院の代表者と会いました。 南山の「Children's House」の子供たちと一緒に宿泊先である新羅ホテルに戻ったマイケルは、子供たちが準備した舞踏などを観ながら楽しい時間を過ごしました。 | |
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■6月23日■ 現代デパート&Bennygan'sレストラン | |
現代デパート マイケルは訪韓3日目のこの日 午前11時に、宿泊していた新羅ホテルにおいて全羅北道の道知事ユ・ゾンクン氏と歓談した後、午後3時50分に江南区の現代(ヒュンダイ)デパートに立ち寄りショッピングをしました。 現代デパートでは、店長のカン・デイン氏と歓談した後に、子供用品コーナーで英語の童話ビデオを購入。また地下1階の電気製品売り場では、パナソニックの携帯用CDプレーヤー・Samsungのキャムコーダ・電話機など、電気製品を中心に約140万ウォン分を購入しました。 「息子と娘が電気製品に関心が高いので、子供のために買った」 とマイケル本人が言ったらしいけど… (え" ホントかなぁ ?!) デパートにはファンが大勢駆けつけ大パニック! マイケルがデパートの2階でトイレに立ち寄ると、彼を待つ警備団と取材スタッフに加え 大勢のファンが集まってきて、一時トイレの前は 上げた足の置き場も無いほどに混み合ってしまいました。 マイケルは子供服売り場にも立ち寄る予定があったようですが、余りにもパニック状態だったため、これは断念。何しろヤジ馬含め ものすごい人だかりで、警備の警官だって半端な数じゃなかったのです。 Bennygan'sレストラン そこでは、マイケルが招待した障害や病気を抱えた子供たちが待っていました。 マイケルは大きなテーブルに着いて、子供たちが食事をしたりマイケルからもらったプレゼントを開けている間、フルーツ・ジュースを飲んでいました。(店内では "Heal the World" が掛けられていて、数人のファンも中に入ることができました) 子供たちへ予め用意していたプレゼントは、お菓子の詰め合わせやCD・エアコン・テレビ・ビデオ等でした。 マイケルは小児癌や白血病に病んでいる15人の子供たちと食事をし、「治療を受けてはいるけれど治るのでしょうか?」と言う彼らを心配し、「早く治ることを祈ります」とスピーチし子供たちと抱き合い闘病に負けないよう励ましたのでした。 そして午後5時45分にそのレストランを出てホテルへ帰りました。 | |
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■6月24日■ アメリカ軍用基地公式訪問&ロッテ・ワールド&リハーサル,他 | |
アメリカ軍用基地公式訪問 午後2時~3時の間にホテルを出て、ソウルのヨンサン米8軍領内で開かれた米軍慰問公演に約30分参加し、領内で兵士たちにサインをしたり記念撮影にも応じました。 ロッテ・ワールド そして、予定になかったロッテ・ワールド・アドベンチャーにも訪れ、いくつかのアトラクションに乗って楽しみました。 ショッピングでは、泡の出る水鉄砲を購入。 リハーサル 10分間ウォーム・アップした後、以前にもパフォーマンスしたことのあるヒット・メドレーを歌い、次に、"She's Out Of My Life" をバック・シンガーの女性と歌いました。(マライア・キャリーはまだソウルに到着していなかったため) マイケルの喉の調子は万全でした。(数人のファンはフィールドに入り、リハーサルを見ることができました) 次に、HBOコンサートのためにラベル・スミスとトラヴィス・ペインが用意した "Dangerous" のスペシャル・ヴァージョン。 次は Bridge of no return の "Earth Song"、最後に "You Are Not Alone"。前列は椅子でいっぱいで、立っている観客がその後ろにいる形になるため、そこから女の子を連れ出すのはムリということで、女の子をステージに上げる演出は止めにしました。 午後11時15分、リハーサルが終了しホテルへ戻りました。 (リハーサルへはプリンス君も同行。ホテルに戻ってきたプリンス君は、パパより先にホテルの入口通過です。抱っこしていたのはパパじゃなかったけど、とにかく大人し~い子でした) カクテル・パーティ この日宿泊している新羅ホテルで、出演者とスタッフのみを招いたカクテル・パーティーがありました。 マイケルがリハーサルから戻る前、既にスティーブン・セガールやボーイズIIメンがホテルに到着し、ホテルロビーにいたファンはその度に 「マイケルが戻ってきたの?!」 「う~ん、誰?!」 って感じでしたが、思わぬスター達の登場でビックリ! ホテルに戻ってきたマイケルは一度部屋へ戻り、その後パーティー出席のため降りてきました。2階のバルコニー通路を歩くマイケルに、1階ロビーで待つファンがその歩く姿を一目見ようと集まっていました。 マイケルはそのパーティーに15分ほど顔を出し、再び同じ通路を通りエレベーターに向かいます。 1階ロビーのファンに手を振っていた時、その通路(2階)のエレベーター近くにいたヨーロッパのファン数人がマイケルの近くに行くことができ、プレゼントを渡し会話することができました。マイケルがエレベーターの中へ去った後、彼らは大はしゃぎで喜んでいました。 この日、エリザベス・テイラーが同ホテルに到着する予定だったのですがキャンセルが入り、コンサートへも来られないということが判りました。 明日はいよいよコンサート当日! この数日間 ファン達はマイケルの "お出かけ追っかけ" でヘロヘロになっているはずなのに、前日のこの日も夜遅くまで結構多くの人たちがホテルに残っていました。 | |
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■6月25日■ コンサート | |
「世界の恵まれない子供達への援助と平和祈願」のために行なったチャリティー・コンサート "Michael Jackson & Friends" は、朝鮮戦争勃発49周年を迎えた6月25日の午後6時30分から 約5時間に及ぶその華麗な幕を開けました。(約45,000人収容) 各アーティストやミュージシャン参加で、ショーは次々と進行していきました。 盛り上がりのメインとなったのは、やはりボーイズIIメンやマライア・キャリー登場あたりです。 各アーティストがパフォーマンスする前に司会者の女性が紹介するといった進行形式でした。 午後10時半頃となり、いよいよマイケルの出番です。 と! 会場の一部が ざわめき始め、「マイコー!マイコー!」の歓声が!! ステージ右脇にマイケルのカメラ・クルーのジープが入ってきて、マイケル到着が判ったのです。ホテルからマイケルを追っかけていたファン達も慌てて会場入りしたらしく、ドヤドヤと入ってきました。 会場はマイケル登場を待ちきれないかのようにウェーブが起こります! そして待ちに待ったマイケルの登場!! 場内はウォーッという歓声。 ステージ奥からライトに輝き照らされその逆光の中、静かに歩いてくるマイケル。しかも "Don't Stop 'Til You Get Enough" のイントロで! ステージの真ん中にじっと立ち尽くし、観客の叫びを聞いています。 いつもの事ではありますが スタッフが止めに入ったりなんかしちゃって、でもってこれまたお決まりなんですけど、マイケルが 「おいおい困ったなぁ~!」 なんてポーズ作ったりなんかして会場をのせたりなんかするんですよね。 で、スラッシュがおじさんに怒られている間に、マイケルはステージ中央奥でしっかり Billie Jeanジャケットを着せてもらってるわけです。 イントロが始まり、ここぞ見せ場とばかりに "Billie Jean" ショート・ヴァージョンが始まります。 そして、"Smooth Criminal" のように白い大きな布が下りてきて、マイケルのシルエットを浮かび上がらせた後、その布がするりと下に落ち! …かっこよく決まるはずだったのにぃ~…; 落ちた先はマイケルの頭;;; すっぽり布をかぶっちゃったマイケル。 しかーし そこはプロ! 「おりゃぁー!」 と自分で布を払いのけました!(ホッ;) "Billie Jean" の後、ステージの上でお着替えです。(「I love you」など言いながらニコニコ顔のマイケル) スペシャル・ステージともなれば、シャツの色だって違います。光沢のある真っ赤なシャツで "Dangerous" スペシャル・ヴァージョンを歌いました。 "Dangerous" を歌い終えたマイケルは、一度ステージ右へと去っていきます。 ステージ中央スクリーンにブルーの空に雲という画面が映し出されていて、「歓喜の歌」(ベートーベン交響曲第9番第4楽章)の合唱が流されていました。 その曲の音が小さくなり、"Earth Song" のイントロへと繋がります。 ステージ右より歩いてきたマイケルは静かに歌い始めました。 熱唱するマイケルがシャツを両手で引き裂き… 力が入ったせいか(?!)、胸が全開になってしまいました。 いや~ん なんてワイルド! 曲のクライマックス場面では、ステージ正面下に設置されていたブリッジ(鉄橋)が現れます。3つのパーツに分かれていて両端が同時に斜めに上がり、中央部分は上から降りてきて3つが合体するのです。 橋ができ、そこを左から戦火に苦しむ人々に扮したダンサー達が歩いて渡りきり、その後マイケルが右から、橋に瞬く火花と共に歩き上がって行きます。マイケルの背後には銃を持った兵士が…。 橋が3つに分断され、中央部分(マイケルが乗っている)がワイヤーで上昇していき、吊り上げられた状態でマイケルが熱唱。 徐々に下へと降り橋は復活し、マイケルはステージへと降りてきます。 SBSのキャラクターである1人の少女が軍人に一輪の花を渡すシーンが演じられました。 このとき会場にいる人々が抱いたイメージは、まさに平和を訴える一編のドラマのようでした。場内はしばらくマイケル・コールに包まれていました。 ここでちょっと一休み(?) このコンサートを開催するに当たっての主旨や、協力して戴いた各方面の尽力、特にキム・デジュン大統領への感謝などを、また、「韓国統一を祈願している」こと・「今夜のこのショーをそういった事へ捧げます」 という内容のスピーチをしました。 そして 「再びソウルに戻ってくることを約束します」 と述べました。(結構長々としゃべったマイケル) マイケルの「ホ-オゥー!」(けっこう低音)という声と共に、繋いだ手を上げお辞儀です。 ちょっとおデブさんになったスラッシュもご機嫌でした。 マイケルはステージ奥に歩きながら、何やら歌を口ずさんでいました。 マイケルがステージから去った後、スクリーンに観客席が映し出され、それに反応して喜ぶ人たち! "You Are Not Alone" では、当地ソウルのリトル・エンジェルス合唱団の子供たちが現れ、マイケルと一緒に歌います。 マイケルのステージは、夜空を飾るいくつもの花火と共に終了しました。 コンサートを生中継したSBS放送は、ARSを通じ1通話毎に2,000ウォンを恵まれない子供達のための基金として募金を行ないました。 募金額は28万余りの通話分にもなり、5億6千万ウォンを超える金額となったのです。 コンサートが終わり、ホテルに戻ったらば…。あれれ? マライアが来ていました。 マイケルを訪ね、約1時間ほどマイケルの部屋に居たそうです。 「"She's Out Of My Life"、リハーサルしてたの? デュエットしなくてごめんね;」 とでも言いに来たのかな?! そう! リハーサルの時マイケルは、バック・コーラスの女性をマライアに見立てて1曲まるまる歌い、しかもステージで抱き合う場面も練習し、さらに 「マライア・キャリー!」と紹介するところまでやっていたというのに…。 マライアいわく、「リハーサルをやっていないので、プロとしては当日できない」って言ったらしいです。 ま! 生マライアはメチャメチャ可愛かったから許してあげましょう(!?)(マライアは当日ソウル入りしたのでした) | |
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■6月26日■ ミュンヘンへの出発 | |
新羅ホテル 移動日のため次々と荷物が運び出され、最後にマイケルの私物が運び出されます。ベビー・チェアーがあるところなんか、"お父さんしてるなぁ~" って感じです。 ちなみにカーゴの上に乗っている帽子は、本物のマイケル・ハットではありません。 噂によると、マイケルは帽子を忘れてきたそうで、急きょ用意されたのがこの帽子。結局ブッサイクな形だったせいか、マイケルは一度も帽子をかぶりませんでした。 〔韓国の民族衣装をまといロビーで見送る子供達〕 翌日ミュンヘンの公演を控えているマイケルは、この日の早朝(午前8時頃)にホテルを出発、ソウルの金浦空港へと向かいました。 ホテルロビーで見送るファンに手を振り、バスに乗り込みます。 金浦空港 空港まで追ってきたファンとも本当にここでお別れ! 物々しい警備の中ゆっくりとバスから降り、ファンに別れを告げ VIP入口から空港内へと去っていきました。もちろんプリンス君とパリスちゃんもパパと一緒です!! |
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= ミュンヘン(ドイツ) = | |
■6月26日■ ミュンヘン到着 | |
午後6時15分、マイケルはプリンス君・パリスちゃんと共にミュンヘンに到着。 1時間後、大勢のファンの待つ Bayrischer Hofホテルに着き、ファン達の前を歩きました。 雨が降り始めるまで、マイケルはホテルの部屋の窓から何回か顔を出しました。 | |
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■6月27日■ コンサート | |
輝く空の下、夏のビッグ・イベントが始まりました。 この日、ドイツのミュンヘンにあるオリンピックスタジアムで開催されたチャリティーコンサート "What More Can I Give" に、マイケルは国際的に活躍するミュージシャン30組以上を集めました。 スコーピオンズ,バネッサ・メイ,ボーイズIIメン,サーシャ,ケリー・ファミリー等の大物が出演するショウに、62,000人のファンが興奮したのです。 コンサートの冒頭、マイケルからのビデオメッセージが流されました。そして9時間に亘るクラッシック・ポップ・マラソンの最後を飾ったのは、"King Of Pop" マイケルその人だったのでした。 午後11時に子供たちがマイケルの出番を伝え、マイケルが舞台に登場すると喚声は一段と高まります。 ヒット曲 "Billie Jean" "Dangerous" などの後、彼の35分間にわたるステージは頂点を迎えました。 平和への讃歌 "Earth Song" は、ソウルでのコンサートと同じく舞台の上 高さ14mに鉄橋が掛けられ、銃声が鳴り響き暗闇に閃光が光るという 戦争をテーマにしたシナリオです。 その橋をマイケルが上って行き、曲のクライマックスであったその時! 橋の真ん中がすさまじい勢いでマイケルと共に落下! 写真撮影用の溝にぶつかったのです。ファンは悲鳴を上げました。 そのため殆んどの観客は演出の一部だと信じ、アクシデントに気づきませんでした。 真相は、橋の落下自体は計画されたものでしたが スピードはもっとゆっくりの筈で、しかしこの時にはそのコントロールが出来ずブレーキが利かなかったまま床に落下してしまった、という訳です。 "You Are Not Alone" の最中も、橋に見立てたそのクレーンはそこにあり、もはや動かせない状態でした。 あらゆる意味で全てを演じきったマイケルは、最後に観客に向かって 「I love you!」 と 4回も繰り返し叫びました。 ステージを終えた後、マイケルはすぐにイーザル湖畔の病院に運ばれました。 マイケルは足首と手首を痛めていて、少々の火傷も負っていましたが、数時間後に病院から出ることが出来ました。 数百人のファン達は、マイケルの滞在するホテルの前で 怪我の具合に関するニュースの到着を待ち続けていました。 | |
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■6月28日■ ホテルでの静養 | |
500人のファン達がホテル前に集まり、マイケルの快復を願いました。 "アンチマイケル" のRTLテレビがファン達の姿を撮影しに来た時には、大勢のファンが立ち上がって 新しいスローガンを叫び始めました。 「Michael is the Best! F*** the Press !! 」 ファン達の声はすぐに大きくなり、マイケルは窓から彼らに同意の合図をしました。ファン達がもっと大きく叫ぶと、マイケルは指を揺らせて合図しました。 前夜のアクシデントによる負傷について、MJJ Productions は 「マイケルは大丈夫」 と語りました。 昼下がりには Mama Consertsの Marcel Avram氏が記者会見を開き、「マイケルは元気でいます」 と話しました。 | |
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■6月29日■ ドイツ出国 | |
この日、フランス・パリへ向けて発ちました。 パリではニューアルバムその他の仕事やプライベートのため、予定を延ばし7月13日まで滞在。 |
= 会員投稿レポート = ソウル&ミュンヘン紀行 by. mjjさん | |
6月25日のソウル公演は、チケットを取らずに “とりあえず行くだけ行って あとは何とかなるかなぁ…” みたいな、かなり適当な考えでした。 マイケルの泊まる新羅ホテルに、25日当日に到着。友人と共にチェックインして、マイケルがホテルを出るまでフラ~っとしてました。ホテル内にある巨大なスクリーンに、夕方にもなると会場の(オリンピックスタジアムの)様子が放送されたりしている。それを観ていて “どーしようかなぁ…” なんて考えてました。 マイケルがホテルを出て行ってしまってから、大変にのんきな私は地下鉄で会場へ行きました。 入口がどこかよく判らなかったので、近くを歩いていた2人の女の子(20歳くらい)に訊くと一緒に連れて行ってくれました。2人は中国人でしたから英語があまりしゃべれなかったのですが、一生懸命話してくれました。 「会場にはもう入れないから、外からスクリーンを観ていた方がいいよ」 と言われたのですが、やっぱり中に入りたかったのでダフ屋からチケットを買うことにしたのですが、ダフ屋との折り合いがうまく合わず断念せざるを得ない状態になっていました。 若い子たちはゲートの中に何とか入ろうと試みている人もいましたが、警備員がゲートを閉めてしまって中には入れませんでした。 その時、その中国人の女の子の1人が、ゲートが開いている所を見つけたのです! たまたまドアを押したら開いていて、「早く!早く! 入れ、入れ!」 ― そして、なんと本当に中に入っちゃったのです。 “でも絶対うまくいくはずないよなぁ… すぐ見つかっちゃうよなぁー” と思ってました。 案の定、警備の人はウロウロしていて、会場の中を覗くと、私たちがいる場所はちょうどステージの真裏(後ろ)でした。でも、すぐ見つかって笛の 『ピーッ!』という音とともに警備の人々がこっちに向かって来ました。“うわーっ、ヤバっ!” と思って階段の端に隠れました。 しかしいつまでもこうしている訳にも行かず、時間も午後9時30分になるくらいでした。こっそり、またその場所を離れて外に出てみると、また違うセキュリティーの人々に見つかってしまいました。何か言われたのですが(当然、韓国語は解らなかったのですが)、よく解らないうちに会場の中に入れてもらえちゃったのです!(マイケルごめんなさい。私はタダ観をしてしまいました) もう信じられなくて、3人でひたすらキャーキャー言いながら会場の中に入りました。 そして幸運にも、マイケルのステージは 入ってすぐに始まりました。そもそも、何で入れたのかは未だによく解らないんですが、本当にラッキーでした。 およそ30分ほどのステージは最高でした。特に "Dangerous" のニュー・バージョンや、"Earth Song" の橋のシーンは、本当に驚くべき展開でした。 そして何より、あの2人の中国人と一緒に歌ったり喜びを分かち合ったことは忘れ難い想い出の1つとなりました。(でもチャリティー・コンサートなのに、タダ観はやっぱマズイですよね。反省します。) 翌日の朝、午前8時30分にマイケルはソウルを離れ、ミュンヘンに向かいました。 私も午前10時にはホテルを出て、フランクフルトまで行き、国内線(ルフトハンザ)でミュンヘンに向かいました。 国内線の待合のところで知り合ったマイケルファンの女の子2人(外国人)が、マイケルの泊まっている Bayerisher Hofホテルに一緒に行かないかと誘ってくれたので、これまた一緒にいたスペインのファンの女の子3人組と、合計6人でホテルに行きました。 でも、着いた途端に雨が降ってきてしまい、用意の悪い私は傘を持ってきておらず 皆もホテルに戻り始めたので、私も近くのホテルに歩いて帰りました。 マイケルがホテルに到着した時のファン達 翌日はホテルに寄って、ホテル前にいた外国人のファンの人々と話したり写真を見せてもらったりして、夕方4時には会場のオリンピックスタジアムまで地下鉄で行きました。 Tシャツとパンフレットとバンダナが売っていたので、それを買ってアリーナのステージ前まで下りて行きました。 途中で赤い旗みたいなものが配られて、それには 『The Power of Sixt Salutes, The Power of Humanity』 と書かれていました。 そして、しばらくして RED CROSS(赤十字)の人々が募金箱を持って回って来たので、ソウルでタダ観した私はそのお詫びとして募金しました。 午後8時頃、ドイツTV "Wetten Dass...?" の司会者が現われて、マイケルを呼びました。 黒い上下にサングラスをしたマイケルが、オペラ歌手の Andrea Bocelliを紹介する短いスピーチを行ないました。 その後、午後10時30分を回ったくらいでマイケルのステージは始まったのですが、残念だったのはミュンヘンで予定されていた Luciano Pavarottiとのデュエット等が無かったし、Liz Taylorや Pavarotti自身も来ていなかった事でした。 でも会場の観客は皆その事実とは関係なくマイケルのステージに熱狂していました。 日本の新聞にも書かれていた “ステージ上の事故” ですが、私たち観客の中で、マイケルが怪我をした事に気づいている人はいませんでした。というのも、マイケルは怪我をした後も、それを観客に気づかせる事なく "You Are Not Alone" を堂々と歌っていたのですから。そこはさすがにプロでした。 でも確かに、"Earth Song" の時に 橋が割れてマイケルが乗っている橋の一部が大きな爆発音とともに下に降りる時、私も結構近くで観ていたのですが、かなり早い勢いで上からサーッと… “降りる” というより “落ちる” に近い感じだったので、一瞬ヒヤッとしました。しかもその橋はステージの下まで降りてしまい よく見えなくなってしまい、挙げ句の果てにはマイケルが下からステージに自分で上って、また歌い続けていたのです。 “大丈夫なんかい?” という感じでしたが、マイケルは至って “正常” に歌っていたので怪我をしているなんて思ってもいませんでした。 しかし、30分のショーの後のスピーチは無く、マイケルは会場を後にしました。 私は打ち上がる花火を見ながら、ずっとステージを見つめていました。 ソウルとミュンヘンと2回のコンサートを観るために、すごく慌ただしい日々を送っていたので、なんか全てが“あっ”という間でした。 翌日はICEでミュンヘンからフランクフルトに戻り、列車の中で色々な想いを馳せ、今まであった出来事を日記に綴ったりしました。(うわぁー、クサイなぁー。) そしてフランクフルトでは帰国の便までの間、レーマー広場などを観光して、夜、フランクフルトから日本に帰国しました。 ソウル(韓国)は一度行ったことがあったのですが、ドイツは初めてだったので何かと大変なことが多く、たくさん失敗&恥をかいて来ましたが、無事マイケルのコンサートを2回とも観ることが出来たので本当に良い体験となりました。 |
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