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2013-09-22

Michael in TOKYO '98

來源:mjfcmoonwalk.com

Michael Jackson Japan 設立記者発表会 来日Report
マイケルが “ビジネスマン・マイコー” として世界各地で出没する今日この頃。
ポーランドの復興に役立つかしら,韓国の経済が活性化すると良いのに,
マイケルの夢が実現しますように…と、はるか遠い日本から想いを馳せていたらば
そのビジネスマン・マイコーがついに日本上陸!
'98年7月24日~28日までの5日間の日本滞在をレポートします。



 4月6日付のスポーツ紙で計画の第一報が伝えられた (上は日刊スポーツ)



■7月24日■
 我らがマイケルは、ショウの為ではなく実業家(?)としてテーマパーク建設計画の具体的内容説明を発表するために約7ヶ月ぶりに来日。
 午後3:45、シンガポールを経由してユナイテッド航空で成田空港に到着。
 午後4:30にゲートを出てファンや報道陣の前に現われたマイケルは、サングラスはしておらず黒のジャケット・マスク・それにハット姿。
 プリンス君はヒョウ柄の毛布にすっぽりと包まれて、しかし随分大きくなったようで赤いソックスを履いたアンヨが出ていて、ウェイン(マイケルのヘッドセキュリティ…とは言うものの今やベビーシッター兼マネージャー兼お世話係兼…と、そのうち過労でブッ倒れそうな今日このごろの彼)が大切そうに抱えて通り去った。
 パリスちゃんも同じく毛布にすっぽりと包まれ(顔を撮らせないことで誘拐防止策でもあるのでしょう)黒人の女性に抱かれていた。



 マイケルは空港ロビーでファンからプレゼントを受け取ったり手を振ったりした後、3台の車を連ねて常宿となっている永田町のキャピトル東急ホテルへ直行した。


キャピトル東急ホテル

 折りしもホテルは小渕内閣発足のため国会議員で溢れていたが、その為かどうかマイケルはロビーから通らず裏から入った。
 そのまま10階のスイートルームへ入った後、再び窓からファンに手を振り、
 「I love you and miss you so much. Michael Jackson」
とマジックインキで書かれた枕カバー(枕付き)を投げたりもした。

 その後、地下1階にある中華レストラン 「星ヶ岡」 にて関係者とともに夕食。



 地下1階にいた10人前後のファン達は幸運にも、マイケルが地下1階に下りてきた時と 途中トイレへ行った時の行き帰りと 最後にお店から出てきた時の、計4回見ることが出来た。
 4回目の時は、ウェインも
 「みんな、リラックスして。落ち着いて。」
と言いながら、比較的ゆっくりとファンが写真を撮ったりサインをもらったり出来るように配慮してくれたので、ファンもドキドキしながらも声を抑えて静かにマイケルとのやり取りが出来、その後マイケルは10階へと帰って行った。



■7月25日■

 この日マイケルは、ロビーを通ってお出かけ。
 まず、既に10数人のファンが待つ神田錦町にある会社を訪れ、そのあと後楽園会館へ向かった。



午後1時~3時はホテル内で・午後4時からはMJJapanでミーティング


 後楽園会館の駐車場にもTVカメラや大勢のファンが列を作ってマイケルの到着を待っていたが、マイケルの乗った車の車高が高くてそこの地下駐車場の入口に入れなかった為、マイケルは駐車場入口あたりで車を降り20~30mほど歩いて、2階にある後楽園飯店へ入った。
 その店は、来たる('98年)10月25日に両国国技館で行なわれる世界空手道連盟主催 『キックボクシング チャンピオンカーニバル オールスター戦』 の記者会見会場になっていて、結局20分遅れで会場入りしたマイケルは、その席上で朝堂院総裁から紹介を受け、空手名誉5段の賞状を授与され、黒帯とともに “マイケル” と刺繍で縫い取られた空手の胴着をプレゼントされた。




 取材をしていたワイドショーのお姉さんは、マイク片手に思わず 「マイケルさんは空手の経験はあるんでしょうかねぇ」 と口走っていた。
 マイケルと空手の関係は、2年ほど前に知り合った空手関係者と個人的な親交を深めていて、マイケル自身ダンスの動きの参考にしたいという想いもあって空手にとても興味を持っていたとか。

 

  '98年7月26日付 日刊スポーツ(左) と スポーツニッポン (右) (※ クリックでそれぞれ拡大します)


再び地下駐車場に戻り、後楽園飯店を後にしたマイケル御一行様は、夕食を摂るために赤坂にある鉄板焼レストラン 「DANTE」 へ入店。(テッパンヤキ?! 一体マイケルの食べられるメニューってあったのかしら?と余計なことを思ったらば、ちゃんとベジタブルディッシュがあったそうな)
 マイケルが街なかにある一般のレストランに入って食事をするのは、過去BADツアー時に行った 「音羽の森」 など数える程度でとても珍しい。
 1時間近い食事の間、マイケルのバンは店の前に駐車したまま。
途中、店の従業員が地下1階の店から2回外へ出てきて、袋いっぱいの果物とミネラルウォーターのペットボトルを近くの店で買って戻るといった光景があったけれど、あれはマイケル用なのかしら…。

 やがて食事も終え、ぞろぞろと関係者とともに外へ出てきたマイケルは一旦バンに乗り込んだが、ここでも車の中から大勢のファンのサインに応じていて、陽も暮れて賑わいを見せ始めた赤坂の狭い裏通りは、あわや交通渋滞になりかけた。
 その日はそのままホテルへ直帰。



■7月26日■

 この日はショッピングに出かける予定だったらしいが、全てキャンセルされた。
 後日談によれば、大事には至らなかったがプリンス君がひきつけを起こしたので、都内のロシア人医師と看護婦さんが急きょホテルへ呼ばれたらしく、看病疲れと心配でマイケルはお買い物どころでは無くなったらしい。


    左 : '98年7月27日付 スポーツニッポンだけが小さい記事ながらも尾ヒレなしで正確に伝えた
    右 : 翌日も再往診にみえたエフゲニー・アクショーノフ医師は “六本木の赤ひげ” として有名



  '98年7月27日付 デイリースポーツ(左) と 日刊スポーツ (右) (※ クリックでそれぞれ拡大します)


この日の予定の一部として青山の画廊を訪れることになっていたが、中止になったために画廊側から絵を持ってホテルのマイケルを訪ねた。
 マイケルに見てもらう予定だった絵は、“アール・グラージュ” といってコンピュータ制御のライトを絵に当てることによって絵がさまざまに変化する新しい手法のもの。
 はじめは訪問を少しためらっていたマイケルだったが、その絵を目にしてとても興味深く眺めていたとか。
 【※追記 - その後、アール・グラージュ作家として第一人者のゲリー・フェンスキー氏の作品コレクターとしてマイケルの名が筆頭に挙げられる。少なくとも1作品は買い求めた模様。】

 その夜、窓辺に現われたマイケルはファンに何度も手を振ったり、子供を障子越しに見せてくれたりしてファンは大喜びした。

お手振りはたいてい図右上の窓から


■7月27日■

 今回いちばんの来日目的である 「マイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社設立記者発表会」 の日。

昨日までのロビーの危険な狂乱混雑ぶりとは違ってロープが用意されたので、みな整然と並んでマイケルのお出ましを待つことが出来た。
 まるでマイケルをひっつかんで引き倒さんばかりの騒ぎぶりは、マイケルが危険なことは勿論のこと、ホテル側にとっては当然のことながら他の客のことを考えれば強硬な態度で臨まなければならなくなるだろうし、ファンが怪我でもしたらそれは 「マイケルファンというのは…」・ひいては 「マイケルジャクソンって人は…」 という事になってしまう。
 しかし、マイケルが通る通路さえ安全に確保されていれば、本当ならマイケル自身もファンの差し出すプレゼントをゆっくりと見て歩きたいし、小さな子供に手も振りたい、そして1人でも沢山のファンにサインもしてあげたいと思っているはず。そしてファンの立場からいっても、目の前に壁のように警備員が隙間なく立ちはだかり過ぎず、ちゃんとマイケルが見えさえすれば、あれほどの 「我れ先に」 な行動も起こしにくいはず。
 ロープの出現は 「エーッ!!」 とブーイングも一部出たようだけれど、こうした三者(マイケル側・ホテル側・ファン側)がお互いのことを思えば、少なくとも昨日までの状態よりは良い。
 余談だけど、いつも警備に当たって下さる東京パトロールのおじさま達に比べ、今回初めてお会いした空手のお兄さん達の中には突き飛ばす力がとーっても強い人もいたりして、ちょっぴり慄いてしまったよねっ。 それも、やはりファン側にもそうさせてしまう態度があったかも。

 で、午前11:30頃マイケルはロビーに出てきて、昨日よりはゆっくりサインをしたりプレゼントを受け取ったりして、会場であるホテルオークラへ向かった。

 ホテルオークラに到着したマイケルは、そこでもロビーから入り待ち受けていたファンに手を振り、7~8人に囲まれて1つ上の階へ上がっていった。
 記者発表会場には大勢のTV局や雑誌社・新聞社などが既に位置取りも決めて待っていた。ステージには中央に2~3人用の長机が1本・そしてそれを挟むようにして左右1本ずつ、計10人ほどが座れる長テーブルがセッティングされている。
 やがて出席者がステージ上に現われ着席すると、場内は暗転し、大スクリーンに 「Michael Jackson HIStory Past Present And Future Book 1」 とされた10分間位のフィルムが上映された。

 その後、壇上のマイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社取締役である松浦氏、アモン株式会社代表取締役社長の水野氏に続き次々に紹介があり、
 「そして最後になりましたが、マイケル・ジャクソン・ジャパンにおける最強のパートナーをご紹介しましょう。皆様、スクリーンにご注目下さい。マイケル・ジャクソンさんです。」
とアナウンスが終わると再び場内は暗転し、スクリーンには先ほどマイケルが上がっていった階段が映し出され、同時に色とりどりのライトが点滅し “Beat It” がカッコ良く流れ始めた。 階上の控え室から出てきて階段を下りてくるシーンから映し始め、会場に一歩入ったところで生マイケルに切り替える、という演出らしい。
 ところが、緊張とドキドキ感で皆がスクリーンを注目すれども、ちっともマイケルは現われず。
 あまりの遅さに (ファンにとっては日常茶飯事で、きっと誰かと面会したりしてるに違いない等と思いつつ) 関係者が走って階段を駆け上っていったり 「もう少々お待ち下さい」 とアナウンスするシーンもあったりして緊張の糸も切れかけた時、やっとスクリーンにマイケル登場。
 スクリーンに映し出された当のマイケルは、大遅刻にもかかわらず階下ロビーに待っていたファンに丁寧に応じていた。 さすがに何人目かにサインしようとするところをウェインに促され、“またあとでね” というような仕草を見せて会場へ向かう通路を進んだ。
 会場入口に差し掛かったところでスクリーンは終わり、生マイケルが数名に囲まれて堂々と入場。


中央の席に着いたマイケルは、まず机上のカタカナで書かれた自分のネームプレートを手に取って眺め、軽くトントンと叩いて元に戻し、周りをキョロキョロ、誰かを見つけて手をひらひら、ニッコリ。

 と、ここまでは良かったのだが、同時通訳のイヤホンも無く通訳もそばに居ないマイケルにとって、隣に座っている石角氏の日本語のスピーチは 「じっとガマン」 の15分間となった。とても良いお話だったのでマイケルにも通訳してあげて欲しいと思った。
 石角氏のスピーチは、マイケルの発想から今日に到る間の背景に触れ、続いて会社の概要へと進められた以下のものであった。
まず、地球規模で誰もが知っていて、その人に会ったり見たり聞いたりする事で魂が癒されてときめく人物を、自分が知っている中では3人いる。それがローマ法王(※当時)ヨハネ・パウロ2世と、故ダイアナ妃、それにマイケル・ジャクソンであると信じている。
世の中には物質と精神が存在するが、物質面の成長ばかりに力を注いできた日本はその結果として日本人1人1人が幸福感や充足感を得ているだろうか。特にその中でも子供たちにその影響が出ている。現代の子供たちはヘトヘトに疲れ、病んでいる。
マイケルのワンダーワールド。それはゲートに入るまではヘトヘト・ズタズタになっている子供たちが、ゲートを出てくる頃には目が輝いて生き生きしているのを、出来るだけ多く見てみたいというマイケルの基本的構想から生まれた。
その基本的構想には2本の柱があり、それは1つめが 「Missing Link」 であり、2つめは 「Escapism」 である。つまり、
ミッシングリンク … 世界各地の子供たちをネットワークで結び、失われた “連帯感” を取り戻す
エスケィピズム … 夢というものはデパートやおもちゃ店で買うものではない。ワンダーワールド = 夢の館の中で実際に体験し経験した後で買っていくもの
というような意味である。
ジャクソン氏は、世界最高のエンターテイナーであり最高のアーティストであると同時に世界最高のプロデューサーであり、頭の中にギッシリと詰め込まれたあらゆる構想をプロデュース出来る人である。
この中に入るとあまりに楽しすぎて子供たちがなかなか出て来なくなったら、その場合の親の心配はどうするのかとジャクソン氏に尋ねたところ、「その親の心配に対してもちゃんと仕組みが用意してあるんだ。」 とマイケルは自分に答えてくれた。

 頑張れ。
当社マイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社は4月に設立し、資本金5億円、5年後の上場を目指している。
事業の4つの柱は
  1. テーマパークの日本、アジア、アメリカでの建設。
  2. 「World Of Toys」 の国内外での直営及びフランチャイズ方式での経営。第1号店は日本で1999年9月オープン、第2号店は1999年3月グアムでオープンの予定。
  3. それに必要な不動産取得に当たっては、外国資本とでも提携していく。
  4. 経済面・物質面だけでなく、精神面として “癒し” とトキメキを与えていく = マイケルの一番大きな構想の柱。


収益の一部を、MJF(Michael Jackson Foundation = マイケル・ジャクソン基金)として、日本・アジアの子供たちを中心に社会福祉事業に役立てたい。
と、ここまで石角氏が語った。
 日本のテーマパークは3万坪(東京ドーム2個分)になり、またアメリカではネバーランドが予定地となっているらしい。

 ここでスピーチは終わり、マイケルにマイクがバトンタッチされた。
 「Hello. Hi 」
 間髪を入れず日本語通訳のお姉さんが 「こんにちわ!」 (マイケル&会場・笑)

この度、プロスペアリティ・エンタープライゼス・コーポレーションと共同でグローバルなファミリー向けのエンターテイメント系テーマアトラクションを、日本及び世界で開発する運びとなりました。
この10億ドル規模の事業をするにあたり、マイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社が設立されました。
この会社の第一の事業は、ユニークで大規模なテーマパークを世界的に造り上げていくという事です。まさに前代未聞・空前絶後のテーマパークです。ゴルフコース・コンドミニアム・ホテル・その他レジャー施設を含んだテーマパークです。設計には大変著名かつ人格的にも素晴らしい、才能に満ちたアート・ミリガン氏が当たります。
そして次の第二の事業ですが、それは 「Wonder World Of Toys」 の店舗を世界的に展開していく事です。ここではオリジナルのマイケル・ジャクソングッズの他、世界中から集めたオモチャやキャラクターグッズの販売をします。1号店は日本でオープンします。
さらにマイケル・ジャクソン・ジャパン株式会社においては、その事業収入の一部をチャリティ・イベントの展開に向け、特に恵まれない人々や子供たちを助けたいという我々の強い想いを実現させていきます。
Thank you. アリガトー。 (合掌2回・投げkiss 2回)
 続いてフォト・セッションに入り、席から離れ報道陣の前へ出てきたマイケルを、“Come Together” のBGMでスチールカメラ陣が3分間・TVカメラ陣が3分間撮影。



 サングラスをかけ寡黙に佇んでいたマイケルだが、次第にゼンマイ仕掛けのオモチャのように首を微かに振り、身体を揺すり、足でリズムを取り始めた。 さすがマイケル、それだけでも腰くだけになりそうな位カッコイイ。

 撮影会終了後に会場から出たマイケルは、じっと待ち受けていた大勢のファン達にかなりの時間をかけて1人1人からのプレゼントをじっと見たり受け取ったりしてサインもし、いっぱいフラッシュを焚かれ、いっぱい 「マイコーマイコー I love you!」 と声をかけられてホテルオークラを後にした。



 その後、青山ブックセンターで絵本や建築関係書籍など約40冊を購入。
 渋谷のカメラのドイでは、シャープのパワーザウルスを買おうとしたところ英語版の説明書が無く、一時は諦めかけたが結局購入。 あとCDプレイヤーやデジカメを買って隣のタワーレコードへ寄り、その後ホテルへ一旦帰った。 (お買物シーンは 「FRIDAY」 '98.8/14号に掲載)


 同夜、お色直し(?)したマイケルは、昼間に記者発表が行なわれた同会場で催される 「空手オリンピック推進委員会発足記念パーティ」 へ出席するため、再びホテルオークラへ向かった。
 昼間とは一変したパーティ会場には、格闘技連盟の方々をはじめ “SEGAた三四郎”で話題(※当時)の藤岡弘さんや歌手の橋幸夫さんや大使館関係者やスポーツ関係者など、各方面からの招待客。

 朝堂院総裁のスピーチで始まったパーティでマイケルは、ジョー山中さんのショウが始まるまでの約1時間を楽しんでというか、ほぼサイン会・撮影会状態で、次々に寄ってくるおばさんやおじさんや様々な人への応対に大忙し。
 でもその合間を縫ってマイケル用の特製寿司のカッパ巻きを、最初は箸で突き刺して次からは手で頬張り、オレンジジュースを飲んでしっかり補給していた。

 途中マイケルは3回ほどステージに呼ばれた。
 1回目は挨拶。
 2回目は世界空手道振興財団のタツノ総裁よりマイケルに感謝状と記念品が贈呈され、朝堂院総裁からも空手のイメージアップの貢献に対して感謝状が贈られた。
 3回目にマイケルがステージに上がったのは、世界空手道振興財団の理事でもある橋幸夫氏からマイケルを名誉総裁として迎える印のエンブレムを付けてもらうため。


 最後にもう一度ステージに上がったマイケルは、皆にお礼を述べ、体調が悪いのでということで退席。
 その足でルナパークへ向かったが、同行していた子供の体調不良により途中でホテルへ引き返した。


  '98年7月28日付 サンケイスポーツ(左) と 東京中日スポーツ (右) (※ クリックでそれぞれ拡大します)


 一般紙でも記事になる (朝日新聞/経済面より)


 この夜、窓を全開にして障子だけにし 「影絵」 状態にして、マイケルはプリンス君(既に歩き始めているプリンス君にしてはちょっと小さすぎるような気もした。パリスちゃんだったかも) の脇から抱き上げ、振り子のように振ってみせてくれたり、その子の手をマイケルが持ってバイバイとかハ~イというように振らせてみせたりした。



■7月28日■
 予定より1日早く繰り上げての帰国日となってしまった。
 ホテルを午後1:15に出る予定が少々遅れて午後1:30過ぎ、昨日のようにロープが張られ、マイケルはゆっくりとした足取りでファン達の列を見ながら精力的にサインをし、ホテルを離れた。

 そのまま成田空港へ行くのかと思いきや、品川のソニー本社を訪問。
 午後1:50ごろ到着し、30分ほど滞在しました。

 その後、高速を途中で降り始めたので何だろうと思っていたら、左手にフジテレビ、お台場。 SEGAの東京ジョイポリスへ寄ったのだった。
 過去何回か訪れた時は貸し切りだったが、今回は何と一般客に混じって・しかも1時間以上も楽しんだ。
 いきなりマイケルと遭遇した一般客は、驚きつつもしっかり握手してもらい、「ヤッタァ!本物だよ本物!握手しちゃったよ!」 と、超コーフン。
 同行した空手関係者の警備に SEGA側の警備も加わり、マイケルが次に向かうアトラクションへ手際よく通路を確保するなどした為、客の方は一般客とそこへ押し寄せたファンとでごった返したが、マイケル自身は 「Time Fall」,「Rail Chase The Ride」 など8種9ヶ所 (「Halfpipe Canyon」 がお気に入りらしく、一番最初に乗って最後にもまた乗った) のアトラクションを楽しむことが出来た。 手を叩きながら笑ってアトラクションから出てくる場面もありました。





施設内の柱に残したサインには後日、フレームとプレートが取り付けられた

 マイケル御一行は、そのままファン達のタクシーを10数台引き連れて成田空港まで直行。
 途中、赤信号でタクシーから降りてバンに駆け寄る光景も見られたが、やはり危険。これで事故でも起こったらやっぱりマイケルがマスコミの矢面に立たされる。

 少ない時間ながらもちゃんと遊んできたマイケルパパは成田空港のVIPルームでプリンス君たちと合流し、出発までの待ち時間を、ヨチヨチ歩くプリンス君の面倒を見て しっかりパパをしていたらしい。
 プリンス君がガラスのコップを持って歩いているのを見たマイケルは、 「危ないからコップを置きなさい」 と言ってヌイグルミを持たせたのだそう。

 午後6:45発のLA行きの航空機に SQ12,35ゲートより搭乗し、午後7:15に離陸。 シンガポール経由でLAに向け、マイケルは帰国した。


 '98年7月29日付 日刊スポーツ(左) と スポーツニッポン (右)

・・・ END? ・・・

その後のおはなし ≡


■10月25日■
 『'98年キックボクシング・チャンピオン・ウォーズ・オールスター戦』 に、マイケルが空手の型を披露の演武をするため来日するというウワサが囁かれていましたが、結果は、とにかく来なかったわけです。



 事の発端は、今年('98年)7月マイケルが来日した際に、空手の士道館より “空手名誉五段” なるものを授与され、その時の記者会見で世界格闘技団体の総裁である朝堂院大覚氏がその会見場で
 「マイケル・ジャクソン氏は型披露演武のため、10月25日に来日します!」
と宣言したためでした。
 お膳立てよろしく待ち構えていた空手軍団は、『マイケルの肩すかしの技』 で、見事 “技あり一本” を食らってしまったのでありました!

 でもまぁ、そこは紳士なマイケルですから、“ごめんねメッセージ” を用意しました。
 当日はヘッド・セキュリティであるウェインがこのメッセージを代弁として伝えるため、東京・両国国技館へと会場入りしたのです。

 朝堂院氏とともにリングに上がったウェインは、キックボクシング・ファン達による “何のこっちゃ?” な空気がドヨ~ンとしている中、マイケルの現状報告をスピーチしました。
 「現在マイケルはレコーディングをしており、大変ハードなスケジュールで体調を崩しているため、今回は残念ながら出席できませんでした。しかし、またすぐ日本へ来るでしょう。」

 そして、場内にマイケルの肉声テープが流されました。
 「ビジネス・スケジュールと体調不良のため出席できない事をお詫びします。また日本へは来ます。 I love you.」

 とまぁ、こんな具合に “秘技 I love you” で締めくくったわけです。


~ 余 談 ~
  1. 当日売られていたパンフレット内のプログラムには、マイケルの出番も 『特別演武』 と銘打って組み込まれてあった。(あら…まぁ…;)

  2. 両国国技館内の正面ロビーに、マイケルからの祝い札つきの花束発見! 各方面から贈られた花束群の中央に据え置かれていましたが…  『御祝 マイケルジャクソン』 って;


・・・ END ・・・

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