= 体験レポート 『 HBOコンサートがキャンセルされた日 』 = “The Legend Continues FC”会報より |
'95年12月5日(火曜)、5人のファンがニューヨーク行きの飛行機に乗る準備をしていました。 もともと友人と私だけが行くつもりだったのですが、HBOコンサートの日程が近づくにつれ、他のファン達も我慢できなくなったのです。 最終的には、私たちのクラブからは7人のメンバーが、オランダからニューヨークに向けて飛び立ちました。 |
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翌朝6日(水曜)早くに、私はボブ・ジョーンズ氏のところに行きました。 ジョーンズ氏はとても親しげで、親切にも、マイケルがビーコン・シアターでリハーサルをする予定だという事を教えてくれました。それで私たちはジョーンズ氏の家からビーコン・シアターへと向かいました。 裏口に着くと、そこにはほんの少しのファンしか居ませんでした。2台のトレーラーがあり、入口の前の右側の方はマイケルのものでした。
そこでしばらく待っていると、マイケルのバンが信号で止まっているではありませんか。 私がバンに駆け寄ると、マイケルの手が窓の向こうで振られているのが見えましたが、他のファン達も窓に顔を押しつけて中を覗こうとしていました。 ボディガードが窓を開け、友人はマイケルに書いた手紙を渡すことが出来ました。 プレゼントとクリスマスカードをちゃんと用意しながら持っていなかったなんて、何て私はバカだったんでしょう。私はそれらの物をバッグの中に仕舞っていたので取り出す時間が無かったのです。 マイケルはバンからトレーラーへと移り、私たちは手を振り叫び続けました。 私はボディガードの1人にマイケルへのプレゼントを預け、他のファン達もそれに続きました。
その時、びっくりするような事がありました。 ビーコン・シアターに行く前にビル・ブレイ氏がトレーラーから出てきて、友人の所に来たのです。マイケルがメッセージを書いてくれたのです。 マイケルはその日、他にも3つのメッセージを書いてくれて、そのうちの1つは私あての物でした。 マイケルから返事がもらえるなんて大感激!
マイケルは、ビーコン・シアターとトレーラーとを行ったり来たりして、その度に私たちはしっかりとマイケルを見ることが出来ました。 一度、私たちが歌を歌い始めた時など、マイケルはトレーラーの窓のところまで来て手を振り、私たちがあげたプレゼントや手紙を見せてくれました。
画像は12月4日のもの
私たちはそれからビーコン・シアターを離れ食事をし、ココアを飲んで(外はとっても寒かったのです)、買い物をしました。
私たちがビーコン・シアターに戻ってきた時、そこは大パニックでした。 マイケルが “Black or White” のリハーサル中に倒れ、今、救急車が呼ばれているところだというのです。 皆が涙をこらえようと必死でした。 10分後、救急車が到着し、マイケルが運ばれていきました。 誰も何が起こったのか説明してくれる人はありません。 私たちはマイケルがどの病院に運ばれたのか知ろうとしていましたが、彼らが違う情報を流したため、私たちは全く違った病院で待っていました。 そこで私たちは、ここはひとまずユースホテルに戻ってニュースを観た方が良いのではないか、という事になりました。
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翌7日(木曜)、私たちはマイケルが “Beth Israel Medical Center” という病院にいることを知りました。 私たちがまずした事は、大きなお見舞いカード作りでした。 赤ちゃんの写真の大きなポスターを用意して、ヨーロッパからのファンがその上にサインをしました。
その日の午後、マイケルの容態について病院から正式に発表がありました。 マイケルは安定しているとはいうものの、その内容はそれでもショッキングなものでした。状態はとても深刻だというのです。
その日から毎日、私たちは病院の外に立ち続けていました。 マスコミのインタビューに応えたり、手紙を書いたり、プレゼントを渡したりすることでマイケルを支えようとしていました。 最初、私たちは大きなクマのぬいぐるみを贈ろうとしていたのですが、ボディガードの人が 「それは大きすぎてマイケルの病室には置けない」 と言うので、スペイン人のアーティストが作った磁器製の子供たちの彫刻をプレゼントすることになりました。 沢山のファンがお金を出し合ったので、1,000ドル以上もする4つのステキな彫刻を買うことが出来たのです。 後になってボディガードから、マイケルがそのプレゼントをとても気に入っていたと聞くことが出来ました。
その間にも、たくさんの人がお見舞いにマイケルを訪れました。 リサ・マリー、キャサリン・ジャクソン、ジャネット、リビーとその娘たち、ダイアナ・ロスと2人の息子たち、それに3Tもです。 あるアメリカ人など、クリントン大統領を装ってマイケルに電話をかけました。病気だったマイケルは、電話は大統領からだと思い込んだようです。 その後、この電話の内容はニュースの的になりました。マイケルの声は弱々しく、胸の痛みを訴えていました。 ほんとにとんでもない事をする人がいるものです。 |
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毎日毎日、マイケルの容態について新しい情報が流れてきました。 救急隊員が12月6日にビーコン・シアターに着いた時、マイケルの脈拍は弱く、血圧はとても低かったそうです。 マイケルの体は冷たく、汗をかいていて、心臓も止まりかけていたとか…?
マイケルの主治医がカリフォルニアから駆けつけました。 彼が言うには、マイケルは何時間もの間、ひどく危険な状態だったそうです。 病院と、保険会社の医師たちがマイケルの状態の記録を見た時、マイケルは15分以内に死んでいても不思議ではなかったという点で一致したそうです。 マイケルは、マイケルの事を殆んど知らない医師たちに治療されていたので何日間も重体だったとの事です。
Metzer医師が、マイケルに処方された処置について説明しました。
- 静脈注射で栄養と水を与える。
- 普通のカテーテルでは、彼に必要な物を与えることが出来ないので、水分と高い効能性の砂糖、カロリーと油分、そしてナトリウムとカルシウムの電解液を与える。
- 現在の状態は、低血圧と、ナトリウム・カルシウム不足が危険なレベルだということ。
このカテーテルは、病院を出る1日前に外されました。
マイケルの姉ラトーヤは、これはマイケルの公衆に対する策略ではないかと言い出した。 「マイケルの病気は見せかけのものではない。本当に深刻な症状だ。」 と Metzer医師は語りました。 「救急隊員が駆けつけた時、彼はすでに心臓の不整脈で苦しんでいた。そして彼は2回目のmilner発作を経験した。」
マイケルの生活が関係あるのでしょうか? 彼の身体的・精神的・性的または感情的な問題が、この病気に関係あるのでしょうか? 「彼はAidsではない。それは彼の現在の状態において事実ではない。」 と Metzer医師は語ります。 「マイケルの整形も原因ではないし、彼が持ったであろう精神的なストレスも原因ではない。」
前兆についてはどうだったのでしょう? 人間が何の前兆もなく突然苦しみ倒れたりするのでしょうか? マイケルは前から体調が悪いと主治医に訴えてはいなかったのでしょうか? Metzer医師は続けて語りました。 「マイケルは数日前、気分が悪いと言っていた。でもそんなに深刻なものとは ほのめかしもしなかったんだ。 その時にマイケルの近くにいた人物が教えてくれた。 “ジャクソンは熱いライトの下で歌い踊りながらエネルギーを発散していた。扇風機で突風を吹かせながら。” ひとつの兆しに “下痢” があったが、彼はその言葉を使いたくなかった為、この兆しを大袈裟に取り上げなかった。 彼は化粧を厚く塗り、病人顔を元気なように見せかけていたのだ。 彼の顔色が良さそうだったので、誰も指示なんて出来ない。 彼には既に脱水症状があったが、自分が真剣に治療の必要があるとは判っていなかったのだ。」
Metzer医師の同僚であり友人でもある Robert Laiita医師は有名人の主治医ですが、単純明快に言ってのけます。 「病気の時は、誰でもただの人間だ。 スーパースターは家で寛ぐことは出来ない。人を満足させるだけのお金はある。 スターの写真なんかで大金を稼ぐ投資家もいれば、自分たちと同じ人間だという事を解っていないファンもいる。 私たちは、このように1日18~20時間も働く人たちが私たちと同じ身体機能を持ち、病気もするんだという事を忘れている。長生きは出来ないね。ニューヨーカーだったとしても無理があるよ。 マイケル・ジャクソンは、やめなければならない事に対してかなり抵抗を感じた。でも彼は役者だね。」 Laiita医師は続けた。 「彼はアイコンの1人かもしれない。でも彼だって人間で、彼の倒れた原因の一部は極度の疲労なんだ。 何が起こるかといえば、身体機能は彼自身のために止まってしまう。この場合も… だから彼は気を失ったのだ。」
それで、実際のところ病名は何なのでしょう? 「ひどい胃腸炎。 ウィルスの腸感染によって胃痙攣、吐き気で食べたり飲んだり出来なかった。 彼は華氏99.9度しか熱がなく、身体中の液を失って脱水状態だった。 ミネラル・カルシウム・ナトリウムも不足していた。」 「彼は具合が悪かったが、彼自身ではどうする事も出来なかった。 薬と時間と栄養摂取が必要だったが、マイケル自身が気づかなかったので、体調の悪さをほのめかしたりもしなかった。 これは誰にも起こりうる事さ。」
Metzer医師はここには戻っていませんでしたが、2人の医師がマイケルを看ていると言いました。 彼らが調べている事のひとつに、1日に20時間でもダンスすることの出来るマイケルの “食生活” がありました。 「彼は肉が好きではなく、魚や野菜、チキンスープ等が好きらしい。」 医師たちは、マイケルにもっとプロテインを摂り 1日2クォーターの水を摂るよう指導しました。 「今日、初めてマイケルは元気になったと言える。1月1日にはマイケルはまた仕事を再開することが出来るだろう。」
病院側は連日ステイトメントを出してくれた (※画像をクリックすると大きい画像で見られます)
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私は10日(日曜)に、いくつかの理由により止むなくニューヨークを離れました。 でも幸運なことに、私が帰る頃にはマイケルはだいぶ良くなってきていました。
12日(火曜)、マイケルは退院しました。 彼は、病院からバンまで自分で歩いていったのです。 その場はマスコミとバン、それに紙吹雪を投げるファンでごった返していました。 10人位のファンは、マイケルのホテルまでタクシーを飛ばしました。 驚いたことに、彼らはマイケルよりも先にホテルに着いたのです。 マイケルも彼らをまた見た時はびっくりして、もう少しでカーテンをひいてみようかとしていた位でした。
マイケルは17日(日曜)までホテルに滞在し、ユーロディズニーに向けて出発しました。 今は、私は何も心配はしていません。 夢の王国にいるのならマイケルは元気に決まっているからです。 今はただ、HBOコンサートがもう一度開かれることを待っているだけです。 世界中で何よりも、それだけは見逃したくないから。 マイケル、絶対行くからね。 Willy
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